偉大なる猪木、そして母ボンバイエ
珈琲を飲みながら、家にあった地元の郷土史の冊子を引っ張り出してきて読む。
ある1ページの片隅に、平成13年アントニオ猪木さんのトークショー開催、の文字と猪木の笑顔を発見、大いに興奮し近くにいた母の腕をむんずと掴み、ちょっと!平成13年にアントニオ猪木来てるやん!猪木やん!なあ!お母さん!と絶叫。
そのページには1、2、3、ダーーッの3カウントを終えてダーーッに向かうポージングをしている猪木と、同じくダーーッに向かおうとするニコニコの観客の姿が収められた「トークショーのフィナーレ」と銘打った写真が掲載されていた。
せっかくならダーーッを掲載したらいいのにな、とも思ったが3カウント後、ダーーッ前の構えをした猪木の背中はさすがモノホンアスリート、様になっておりカッコよく、客らは待ってました!の表情で体の横でグーをつくり今にも掲げようとしている(気がはやり、既にグーを掲げている人もいた)ワクワク感いっぱいの名写真であった。
当時にトークショーの開催を知っていれば猪木を見に駆けつけ、共にフィナーレのダーーッを、やりたかったものである。
が、しかしその頃齢にして18歳、己が人生で一番イキっていた時代である。
きっとその場にいたとしてもダーーッすらかっこつけてやらなかっただろうと思うとなんたる唐変木、うすら寒い青春、どつかれろ、取り戻せ無邪気さを。
暗い記憶が脳裏からこんにちは、思わずすっかり冷たくなった手元の苦い汁がぶ飲み。
友人が映画のグッズデザインをしたものが公開。
それがめちゃくちゃかっこいいので、自分のことのように嬉しく、踊ろうかと思ったがヘルニア上がりの身なので少しばかり体を揺らすに留める。
たくさん売れて欲しいし、売れると思う。
とてもセンスのある人です。
晩御飯、母のオリジナル手料理を食す。
どれも珍妙な具材の取り合わせでオリジナリティには溢れるも、個性の押し売りで旨みはゼロ。
作ってもらっておいて文句を言うまい、と思いつつ、はんぺんの使用法に対して文句をつける。
ご飯を作ってくれた老人、しかも親に対していちゃもんをつけるなど愚の骨頂、でたらめで恥ずかしいクズの森章太郎、生まれてすいませんと是非言え、と己に対し心では思うが時すでに遅し、口が勝手に動く。
しかしながら母はこちらを万年思春期だと思っているのでへらへらと、あらあらごめんなさいね、えへへ、確かにおいしくはないよね〜とやり過ごす。
それを見て、やはり母は偉大なり、ごめんなさい、と思い直しあと何年こうやって一緒に過ごせるのかしらと想像をして皿洗いをしながらちょっとばかし落涙、情緒不安定が明るみに。
夜、ひとりで勝手にこのアカウントを公開して、ひとりで勝手に震え上がり、頭を抱える。
自己顕示欲を明るみに出すのはやはり恥であるが、世の表現者たちはその恥を乗り越えたのだなと思うとマジ偉人、と賞賛を禁じ得ない。
あー、恥ずかしくて、もう、走り出したり、踊り出しそう。
でも思っていたことをやり始めることができてとてもスッキリ、ボンバイエである。
やはり首がアレなので、結局走りも踊りもせず。無念。
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