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映画『落下の解剖学』ジュスティーヌ・トリエ監督
映画『落下の解剖学』2023年・フランス/ ジュスティーヌ・トリエ 監督
人里離れた雪山の山荘で、男(サミュエル・センス)が転落死する。見つけたのは視覚障害のある息子(ミロ・マシャド・グラネール)。
作家である男の妻(サンドラ・ヒュラー)に殺人の嫌疑がかけられる─
スリラータッチで家庭内の夫婦の不均衡、クリエイター同士の嫉妬など、複雑な人間心理を重層的な物語で紡ぎだされた作品である。
本作は監督であるジュスティーヌ・トリエ、そして彼女の実のパートナーであり映画監督でもあるアルチュール・アラリが共同で脚本を書き上げた。
本作は152分の作品である。
約2時間半という長尺だが、終始目が離せなかった。
サスペンスやミステリーとして括られる本作ではあるが、良い意味で裏切ってくれたと感じた。
本作は転落死を遂げた男性の妻の視点で描かれていく。
男性の “死“ そして、それに伴う “裁判” 以外に我々の日常生活からきり離れたものはあまり描かれていない。では、本作はなぜ本国フランスで動員130万人超えの大ヒットを記録し、世界的な賞を多く受賞したのか。
以下、ネタバレする恐れがありますのでご留意ください。
夫の死が妻によるものか、本人による自殺かという裁判に焦点が当てられて行くのだが、本作が優れている点を述べるのならば、描き方と背景の掘り下げ方だと言える。本作の物語や人物等の設定も大変考えられたものではあるが、とにかく人物像と、それに絡んだ人間の内面をこれでもかというくらいに、とことん掘り下げて描き抜いたということ。
表層的な事実関係が物語の材料としてテーブルの上に出されているのだが、それらは決して単体ではなく多くの付随物が存在していて、それらがじわじわと炙り出されて観るものに提示されていく。どんどん露わになる。
誰かから見たあなたは、あなたに違いない。
けれど、見えていない知られないあなた、そしてあなたの本質的な人物像はどうだろう。同じ屋根の下に暮らす人でさえも知られていない、向き合っていない部分だって存在するのではないだろうか。
人の内面の多面的な部分と相まってそれらは計り知れない無限の宇宙のようなものだと言っていい。簡単に理解できないし、わかろうとする行為すら傲慢で恐ろしいことに思えてくる。
本作は夫婦間、そして彼らの息子。または息子と両親という関係から齎すそれぞれの関係性の描写に徹している。甚だしく緻密に描かれている。それが多くの賞賛と感動を得た要因となっているのだとわたしは思う。
主演のサンドラ・シュラーの持つものが本作を強固な作品に仕上げている。
彼女が纏う不確かさや動きそうにない強靱的な精神の強さみたいなものが作品を最初から最後まで物語を引っ張っていると言える。
終盤、息子が裁判に立つ。
彼は自分の本心を述べる。
そして、それを裏付けるための自分と父との間で起きた出来事を話す。
生前の父の言葉が、本事件の真実をしっかりと裏付けるに値する証言となる。
父親が息子に語った言葉。犬の死、犬の存在を父は息子に語っているというのは表面的な事実なのだが、父親の真意は自らの思想をにじますものであった。
本作中で重要なシーンである。
父親に違いないのだが、父親という役割を負った一人の人間の脆さと滑稽さとも取れる、非常に突き抜けた人間の状態が車中でハンドルを握る父親、助手席に座ってそれを静かに聞いている息子、というシュチュエーションで描かれている。
スリラー的要素のある緊張感のあるシーンである。
わたしはとても胸が痛くなった。
人間の内面の恐ろしさを描き切った瞬間と言える。
本作を観て、ジュスティーヌ・トリエ監督が制作した過去の作品も観たいと強く思った。
だが、現時点で日本語訳されたものは配信、DVD共に見当たらなかった。
残念でならない。
筆者:北島李の