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あの人の欠点は十分に知っているけどそれでも好きなのはきっと自分がそれなりの年齢になったから。

年齢を重ねると、私たちは主にこれまでの経験値を元に自分の心地良い人間関係を選択することが多くなります。
無意識的に直感で、または意識的に面倒を避ける防衛反応で。

そんな選別された人間関係の中でも、「何かモヤモヤするけど腐れ縁が続いている人」、「付かず離れずの関係だけどふとした時に動向が気になる人」そして、「ちょっと納得いかないところがあるけど何か関係を断絶することができない人」っていませんか。

欠点について重々承知しているけど、それでも自分にとって大事だと思う人。(「欠点」という言葉はやや強すぎる気もしますが、判りやすさの利点から採用します。)
「なんだかな。。」と思わされる部分に目をつむってでもギブ・アンド・テイクしたいと思えるのは、私たちが物事には様々な側面があるということを、経験を通して学んできたから。

“十分に欠点を知っている誰か” を受け入れることは、その誰かを好きな自分を受け入れるということとイコールです。

なぜ自分がその人を大事な存在だと思っているのかについて突き詰めていくと、自分自身が対峙している問題や、今現在自分が重きを置いている事柄が何なのかということに気づくことができます。
そして、その人と自分の関係をどういう風に展開させていくかということを考えることは、自分と向き合うことに直結します。

「相手の欠点を知ってるけど好き」というのは10代20代でもあり得るのでは?とも考えてみましたが、若かりし頃の「それでも好き」という場合の多くは、「とにかく好き」と同義で、私たちは相手の欠点なんてどうでも良い気がするのです。

相手が何か自分の思い通りにならない言動をした時、それらの発言や行為に対して不満を抱くことはあっても、そこに根付いている相手の"欠点”に対しては然程向き合わないというか。
少々乱暴な言い方をすると「なんか意地悪されるけど、それでも顔面がタイプ」みたいな感覚です。

“私にとって” という前置きが必要になるかもしれませんが、若い頃の恋愛って消費の側面が大きいと思うのです。
現代を生きる若者文化的にそういった感覚は廃れているのかもしれませんが、恋愛自体が多面的にコンテンツ化されていることを鑑みると、それほど見当違いでもないような気がします。

そのため、「欠点を承知した上で誰かを好きでい続ける」ことを自認した大人は、その自分と向き合う覚悟ができているという意味で、結構強いんじゃないかと思います。

そしてまた、”あの人”は、"自分自身" にも置き換えられるのです。
私は長い付き合いの中で、やっと少しずつ自分を客観的に見られるようになってきました。
未だに「嘘でしょ…」と思ったり、消え入りたいくらい恥ずかしいと(一瞬だけ)思うこともありますが、それでもいいかと思えるようになってきました。
それって、「欠点は十分に知っているけど、それでも好き」ってことだと思います。

演歌的な熱情ではなく、フラットな”好き”。
他人であっても、自分自身であっても、「欠点を承知した上で好き」だと思える相手は、自分を肯定したり奮い立たせる上で必要不可欠な存在であることに違いありません。
そんな誰かとの"ちょっと面倒な関係"も楽しめるような余裕を持って、毎日を過ごしていきたいと思います。

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