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得意なことってなんぞや。イボバッタと焼きそばソース。

すっかり毎日更新しないことに慣れてきつつあった。慣れって怖い。習慣って怖い。反対の習慣だってすぐについちゃうんだもの。人間楽な方に行くよね。

今日は習い事のプール中、ママ友たちと雑談。

先日の区民プールの話になり、「○○ちゃん(私)が、眩しかったよ。」「子どもとあんなに元気に遊べるのがすごい。」そんな絶賛をいただいた。

全体的に、平均年齢が高めの幼稚園ママ友。平気で10歳年上もいる。(けど、みんなホント若くて綺麗。こんな所でお世辞書いても仕方ないから本当のこと。笑)

子どもとはしゃいで遊ぶ姿が珍しいというか、すごいらしい。「さすが元保育士だよ。」と、自分的にはあまり嬉しくない言葉もいただいた。(褒め言葉なのは十分わかっているのだけれども)

子どもと遊ぶのは、好きだ。

子ども同士で遊んでいる中、それを遠目で見ながらママ同士で談笑するよりも。子どもと全力で遊んでいる方が、夢中で楽しい。おしゃれで料理上手でおもてなし上手なママではないけれど、子どもと一緒に遊ぶのは得意な方かもしれない。

でも、夢中になりすぎてしまう。だから結局、好きだけれど保育士は向いてないんじゃないかと、思ったりする。

好きで、夢中になりすぎてしまうから。

保育士時代だって、子どものために夢中で。手作りおもちゃ作りに残業、休日も保育の本を読んで、100均で材料調達。噛みつきが多発した時は、園長さえも帰る中、保護者に顔見て謝罪するために早番から遅番まで残ったりもしていた。そこにやりがいも感じていたし、好きだったし、大切なつながりや経験や思い出ができた。

でも、今は、それが少し怖い。距離感が、保てなくなりそうで。

母親になって、息子とずっと一緒にいた日々を思い出す。いつも夢中で、その果てに煮詰まりまくった日々。

物を投げる息子に向き合い続けて、しんどかった日が何日あったことだろう。一生懸命作っても全然食べてくれない料理、その食べこぼしを片付けて泣いた日が何日あったことだろう。

全力で遊んでいればいいだけじゃない。料理も寝かしつけも、全部1人でやらなければならない。

(今日、このころのことを思い出して、区役所の前で癇癪中の2歳の子に話しかけた。大丈夫?、お母さんには、大変ですよね、と。ふっと気が抜けた瞬間がつくれてよかったな。)

大好きでやっていることなのに、自分の時間や労力を全部捧げてしまった後に出てくるのは、「こんなに全て捧げているのに…。」という、見返りを求める気持ち。返ってこなくて当たり前。見返りが欲しくてやっているわけじゃない。なのに。うまくいかないことがあると、そう思っちゃう自分がいた。

私は保育士だし子供が大好きだし、一緒にやってみたいことも山ほどある。だけど、1人じゃできない。全部費やして、見返りを求めるものじゃないものに対して「私これだけ費やしているのに」と思っちゃう自分が、何より嫌だった。

進んでよかった。今、子どもたちと離れる時間があって、ある程度の自分の時間が持てていて、すごくいい距離感。私が私の時間を過ごしているときに、息子たちは息子たちでよく遊び、食べ、寝ているということがなんて幸せで安心で嬉しいことなんだ!と。

イライラしないで穏やかに接することができるし、彼らは違う人間だと思える。私の遺伝子を継いではいるけれど、私の「もの」にしてはいけない。離れる必要がある。離れてそれぞれの時間を過ごす必要がある。だってわたしは5歳でも2歳でもなくて、32歳のひとりの女性なのだから。私は私のベクトルで生きていい。ベクトルの原点に、家族がいてくれたらいい。子どもたちも、それぞれのベクトルで生きていって欲しい。心配は尽きないけれど、転んでも彼らはちゃんと歩くだろうから。

そんなことを思えるようになった今、また保育の現場に戻った私は、、、どうなるのだろう。

距離感を保って仕事をできるのだろうか。距離を保つことってきっと、保育をする上でも大切なこと。保育が得意な人は、それができなくてはならないのだろうけれど。私にできる自信がない。公私が混同して、両立ができずあたふたしている自分が見える。もうありありと…。




書くことも、大好きで。

でもきっと、得意なことじゃない。

絶対的に私の中だけで見たら得意なことだけれど。社会の中で見たら、秀でているものではない。

好きなことはわかった。

全力で向き合えることもわかった。

でも、それは心の拠り所にはなるけれど、承認はされない。得意なことではないから。

昔、バレンタインデーのチョコを販売する短期のバイトをしたとき、過去最高の売り上げを叩き出した。「雑味がない味で〜。」なんていう使い回しの台詞と笑顔で同じ作業を繰り返して、売りさばいた。案外これが私に向いている(得意なこと)なのかな?精神科のテストでは、ある単純作業の時にすごい集中力があり、結果も人並み以上だったと。慣れた単純作業の繰り返しが、得意なことなのだろうか。

私、32歳にもなって自分の得意なことがわからない。

手先が不器用で、気が散漫で、いつまでたっても右と左が答えられない息子が私の特性を継いでいたとしたら。絶対的に自分中で好きなこと、はもちろん見つけて欲しい。自分が何を好きで嫌いか。そして、それとともに、自分を客観的に見て、何が得意か、何が苦手か、を把握できていてほしい。社会の中で生活をする上で、必要だと思うから。得意、不得意を見つけるためには全部を褒めていては見つからないんだなと思う。いろんな人や環境や機会の中で、気づいて確かめて強みにして行くしかない。

夫は、その分析がとても上手だ。何よりも自分が得意とすることの仕事について、高収入を得ている。好きなことではないみたいだけれど、その中で好きを見つけている。

何が好きでも、何が得意でもいいのだけれど。息子たちには、自分を大切にするために、それを自分をわかる子になって欲しいな。大人になっても自分の得意なことがわからなくて、自己嫌悪になってしまう前に。(私のように)

なんだか長々と書いてきたけれど、眠くなってきてさらにまとまらせ方がわからない。

イボバッタは、長男がお友達が取ったのをもらってきて、飼育3日目。キャベツ1枚入れただけで超う○こする。今日部屋の中で脱走して、自分でサワレナイ長男は大絶叫。しながら、網とカップを駆使してなんとか再捕獲していた。「網で捕まえるときはね、くるってこうするって○○くんに教えてもらった!」…ママがどれだけ君のことで気を揉んで何かを教えよう伝えようとしても、友達や他のところから学んでくることの方が圧倒的に多いんだよな。うん

そして、焼きそばソースは・・・

「焼きそば!」「ソース!」「ソース!」「焼きそば!」「ソース!」「ソース!」と兄弟で掛け合いが始まるのがうるさ可愛いなっていう。昨日見たクレヨンしんちゃんの映画の中より。

何が描きたかったかわからない本当にダメなものになったけれど。これもこれで。おしまい!



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