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【創作BL小説】箱庭の僕ら 14話


【光の箱庭】
パニック発作が起きてから1週間、あれからコンビニにすら行けなくなって、食事は買い置きのレトルト、宅配とネットで調達するようになった。
「一歩も外に出なくても生きていけるなんて、便利な世の中だよな」とひとり言を言う。
「一人暮らしの年寄りが、ひとり言ばっかり言うのわかるな」

ひとりでいる事を選んだ自分、実家にはもう二度と帰らないし、友人も知人もいない地方の都市だ、孤独になるのは必然だろう。

でも最近は、なんだか寂しさを感じない。決して強がりではなく、悲しみも喜びも憎しみも怒りも何も感じないんだ…頭の中に白い靄がかかっているようで、うまく思考が出来ない。
寂しさや憎しみ、恨みを感じない代わりに、どんな美しい光景を見ても、さざ波ひとつたたない湖面のように、心は何も感じなくなった。
善と一緒にあの高台の公園から見た夕焼けを、世界一美しいと確かに感動したことは覚えているのに。
「善と一緒にいたからかな」と苦笑した。

北海道に来て、真夏の抜けるような青い空を見ても、畑で一面に咲き誇る向日葵を見ても、何も感じない。

反対に、お前ら何呑気に咲き誇ってんの?何が楽しくてそんなに咲いてんの?ふさけんなよ…とさえ思う。

前の俺は、この向日葵畑を見たら、きっと感激したと思う。自分が何かおかしくなっているのはわかってる。でもどうしようも無いんだ…

義務的に時々来る母親からの連絡には、適当に取り繕って返信する。どうせ俺に関心があるわけじゃない。俺をちゃんと見ていたら、あいつに襲われていた事に気がついたはずだ。

思えば、母親は仕事が忙しく、家にほとんどいなかった。反対に再婚した義父は在宅で仕事をすることが多かったから、母親不在のあの密室で、俺はあいつの言いなりになるしかなかったんだ。

俺が母親にきちんと訴えれば良かったのか?あんたの再婚した男に同意の無い性行為を強要されていると?
小学生の俺に言えるわけがない、俺が真実を話したら、せっかく再婚して新しい家庭を築いた母親を悲しませてしまう。

俺が幼い時に本当の父親は死んで、母親がひとりで苦労して育ててくれていた。せっかく掴んだ幸せがまた突然壊れてしまうのを母親に再び経験させるのは幼心にも酷だと思っていた。この時は、母親がすべてだった。

「そうだ、仕方なかったんだ、仕方なかったんだ」と自分に言い聞かせるようにつぶやく。こんなことを考えていても、白い靄がかかっている心の湖面は凪だった。

そのままスッと寝てしまって、起きたら早朝だった。鳥が鳴いている。もう朝晩は涼しいな。夏休みがもうすぐ終わるからって、油断した。買い置きの食材が何も無い、コンビニに久しぶりに買いに行くか、朝だしパニックは起きないだろう…

久しぶりに外に出た。どうやら昨夜大雨が降って天気が荒れたらしい。道路には葉っぱが散乱し、用水路はゴーゴーと音を立てて流れている。
「全然気が付かなかったな。」
それだけ深く眠っていたんだろう。良いことだ。
サンダルを履いた素足に時折水がかかる。「うぇぇ〜気持ち悪っ」足を振るとサンダルが脱げて畑の中に落ちてしまった。
拾い上げようとふと見ると、あの向日葵畑だった。最初、それとは気が付かなかった。

なぜなら、一面に咲き誇っていたはずの向日葵は、皆軒並み根本からポッキリと折れて横たわっていたからだ。

俺は目を上げて向日葵畑を見回した。根本が無事だった向日葵たちも、皆頭を垂れて、斜めになっているが、全員死んだように見える。
俺は言葉が出なかった。ショックで頭の中の靄が一瞬消える。目を見開いて向日葵畑の惨状をじっと見る。
あんなに、あんなに自慢げに咲き誇っていた向日葵たちが、たった一晩で、ひとりも救われることなく、皆死んだ。

「どうしたら…戻る…?」思わず口から言葉が漏れる。もう二度と戻らない、あの美しい向日葵畑は。
雨に打ちのめされ、風に倒された向日葵、もうあんなふうに無邪気に天真爛漫に咲き誇ることは無いんだ。まるで自分のようだと俺は思った。心の湖面が少しだけ波立った気がした。

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