三分間の旅掌篇『鏡はどこ⁉︎』
ある日、鏡が止まった。
いや、正確には止まったのは鏡ではなく、鏡の中の自分の姿だ。
朝の歯磨き粉をつけた歯ブラシをくわえたまま、動かなくなった自分の顔。
アホらしい気の抜けた間抜けな顔をしていたが、いやこれはなかなか自分が思っているよりもイケメンなんじゃないのか?
鏡の姿を頭に思い浮かべたまま仕事場に行くと、なんだか今日は調子がいい。会社の若い女の子とも話が弾むし、その女の子曰く、今日の自分はなんとも普段よりイケメンらしいのだ。
いや、顔が変わったわけではない。表情が変わったのだ。きっと、あの鏡を見て今までとは違う自分の捉えたかをしたからだろう。
次の日に再び鏡の前に立つと、今度は免許証の写真のような、くそ真面目な面白みのない顔をしていた。
まあ、昨日の顔の写りが良かっただけで、本当の自分はこんなものなんだろう。
その日の仕事ぶりは大いに真面目で、面白みがないと女の子に陰口を叩かれた代わりに、上司にとても褒められてた。
なんだ、人間、自分の見方が変わるだけで、こんなにも変わるものなのか。あの鏡さえあれば、私には怖いものなしだ。さて、これからも毎日鏡を見て、いいイメージの自分で生きて行くぞ。
しかし、その次の鏡に写ったのは、減給になるイメージだった。
いや、そんなことはない。これは勝手なイメージのはずで、これが私の人生を決めているなどということは、私には意志があるんだからあり得る話ではないはずだ。
そんなことを考えながら仕事をしているうちに、案の定大きな失敗を犯してしまって、二カ月間の減俸処分になってしまった。
あれ、こんなことはないはずなんだがな。
次の日の鏡は、上司のカツラを取ってしまうイメージだった。
会社に行くと朝礼が始まり、そこで上司の頭部を見た。
どこからどう見ても、あの上司はカツラだ。そんなことは皆分かってる。
にもかかわらず、何故自分は上司のハゲをみんなにバラしてしまわないかと不安になっているんだ。
なんでバカらしい。ええい、こんなことで悩むぐらいなら、いっそカツラを取ってしまえ!
上司のカツラを取ってしまった私は、もう二度と会社に来なくていいと言われてしまった。
次の日のイメージは、私が妻と共にクビをくくっているイメージだった。
鳴り響く電話の音。今月のガス代の支払いがまだなのだ。
私はますます怖くなった。あの鏡の前に立ちながら、そこに写る自分の姿に、ビクビクビクビク震えていた。
あまりに恐ろしくなった私は、思わず椅子を持ってきて、持ち上げて鏡に振り落とした。
パリンッ
鏡が割れると、曇り空が晴れたように目に映る世界が明るくなって、まるで今まで見てた悪い悪夢が朝になって覚めたような気分だった。
あなた、はい、お金。私のヘソクリよ。今までちびちび貯めてきたから、当面はこれでやっいけるわ。
そういって厚い封筒を差し出す妻を見て、私はなんて馬鹿なイメージを見ていたんだろうと自分自身を振り返った。
あんなイメージに騙されて、まるで鏡に操られているようじゃないか。
妻の後に続くように居間に向かっている途中で、別の鏡が私を捉えた。
ああ、やっぱり。私はこんな程度の顔だよな。
今までなんて馬鹿なイメージを見ていたんだろう。
やはり私には、このイメージが性なんだ。
以前に戻って、このイメージで生きていこう。
そうして男は今度は以前の鏡のイメージに操られていきていくことになった。
さて、本当のあなたはどこに写っているのだろうか。