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十字架とSMの女王〜撮影会社のお仕事(前編)〜LOLOのチェコ編⑦
「十字架が邪魔だ。
この巨大な十字架はなんなんだ?これさえなければ、夕日を背景にした美しい村の景色を撮れるのに。
そもそもなんで十字架が外に立っているんだ?しかもこんなジャンボサイズだなんて。十字架というのは、普通は教会の中にあるものだろうに」
ブツブツぼやいているのは、ドイツのカメラマンです。まだ肝心なカメラは回していません。
私たちは日本の某番組の撮影で、チェコ国内のとある小さな村に訪れていました。
確かそこの村の習慣だが生活ぶりを紹介する内容だったはずですが、ディレクターや出演者たちは日本から飛んで来て、カメラマンだけはドイツ在住のドイツ人でした。
この頃、どの撮影にもカメラマンといえば西ヨーロッパから呼んでおり、特に近くのドイツかオーストリアからチェコに来てもらっていました。
その理由は、日本から日本人カメラマンを連れて行くよりもコスト削減。さらにチェコ人カメラマンというのは英語ができない上、まだ撮影技術が未知数だったので、チェコのカメラマンを使うという発想が日本側にはまだなかったこと。
もっと言えば、チェコのカメラマンに限らず、旧東欧諸国のカメラマン全体に不安がありました。
だから、過去に何度も仕事を組んで信頼と実績のある、西側のベテランカメラマンを呼んで共にチェコ、ハンガリー、ポーランド(たいていこの三カ国をまとめて撮りだめする)を回ったほうがいい。そういう考えでした。
この時のドイツ人カメラマンは日本人撮影隊と何度も仕事をしており、非常に日本の求める撮影のあれこれや仕事のやり方を把握していました。
実際、彼はどんなに細かい要求も、くどい撮り直しにも嫌な顔をせず、几帳面で真面目で、撮影の腕前も確かでした。
「ああ、この大きな十字架が景色全体を台無しにしている。邪魔だなあ」
実際、巨大十字架が夕日を隠している上、大きな影も作ってしまっており邪魔です。
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「どうしたんですか?何か問題でも?」
村のチェコ人役人の男性が近寄り、英語で声をかけてきました。
眉をひそめ、苦い表情をしているドイツ人カメラマンは
「十字架さえなければ…。どうにか十字架を映らないようにして、景色全体を撮影できないか思案しているんだ。それにしても、なんでこんなマンモス十字架が外に立っているんだ?」
するとです。チェコ人村役場の役人の男性は、さらりと答えました。
「これはですね、ドイツ軍が村を焼き払って、チェコ人の村人を大虐殺した惨事を偲ぶために、立てられた十字架なんです」
「えっ!?」
このやり取りをそばで見ていチェコ人スタッフが「クッククク」。
爆笑するのを必死にこらえ、顔を真っ赤にしています。
その直後でした。今度はドイツ人カメラマンのノキアの携帯の着信音が鳴りました。まだカメラの本番撮り前だったので、電源に入れていたようなのですが、その着信音はシューベルトでした。
クック笑い続けているチェコ人スタッフの一人が、同僚のもう一人にこっそり言いました。
「ワグナーだったら最高だったよな」
「ああ、マイスタージンガー(*ヒトラーがもっとも好んだワグナーの曲の一つ)だったら、なお最高だったよね」
…チェコ人、大爆笑です。
今回は、当時の日本の海外テレビ番組撮影コーディネート話です。
旧社会主義の国の人とは仕事しにくい?
私がチェコの撮影コーディネート会社に採用されたのは、この業種に限らず、「日本の仕事を獲得したいならば、日本人を現地側でも雇った方がいい」が当たり前だったからです。
ローマのお土産屋さんにも日本人が採用され、スイス・ツェルマットの写真屋にも日本人が採用、世界一周のクィーンエリザベス号にも、エジプトやドバイの5つ星ホテル(いやドバイの場合は7つ星ホテルですね)のレセプションにも日本人が採用されるなど、そういう時代でした。
繰り返しますが、チェコはついそれまで社会主義国でした。
企業や個人が自由に取引する市場の役割を認めず、国が管理し指導し、その通りに従うだけで、努力の結果に応じた報酬を得られないという時代で、それが真逆の資本主義の競争社会に変わってしまいました。
チェコ人の中でも順応力の低い人たちはただ戸惑いました。世の中の急激な流れについていけず脱落し、中にはノイローゼになったり自殺するなどの事件が後がたたない状況でした。
実際、東欧に続々と進出したアメリカ企業は、以前の社会主義の仕事のやり方から抜けられない従業員に頭を抱え、次々にパッパとリストラしていっていました。容赦なかった。
だけども私の勤めたプラハの撮影会社はまだ新しい会社で、チェコ人スタッフのほとんどは比較的頭が堅くない若者たちでした。
しかし、それでも私が「ウーン」と思ったのが、例えばスタッフの一人に
「カレルシュタイン城での撮影許可を取ってきて」
と頼みます。
で、何かの事情でだめだったとします。ならば他のお城の許可を取得しようと動くなど思いついて欲しいものなのですが、それがありません。
突然な飛行機のフライトキャンセル発生時も
「予定していた飛行機が飛ばないそうです」
とただこれだけ。
代替便や陸路移動を手配するという発想がありませんでした。とにかく臨機応変にぱっぱ考えて行動するだとか、先の先を予想して動くなど全然ありません。
それでも、まだ若いスタッフたちは徐々に西側の仕事の進め方に慣れてきており、「サービス」「ホスピタリティ」の概念を薄っすら理解し始めていた感じでした。
そんな段階時に、いきなり日本人と多く仕事をするようになり、彼らは面食らいました。ソ連のやり方とも違う、西ヨーロッパ・アメリカのやり方とも全然違う。
「日本人は細かすぎます。日本の制作会社は些細なことを決めるのに変更が多すぎで、その上時間がかかりすぎです」
あるチェコ人スタッフが私に訴えてきました。
「確かにドイツもフランスも細かい。フランスは特に映像美にうるさい、こだわります。
素人のインタビューでも、その人の着ている服の色と背景の街の色が調和しているかどうかまで気にするフランス人ディレクターがいたほどです。でも日本人の”細かい”はそれらとはまた次元が異なる独特なものです」
ああ分かるわあ、と思いました。ちょうどその直前、私が日本の制作会社の事務員宛にFAXを流しており、それに
「◯月◯日、英国航空◯◯便でロンドン経由で、ディレクターの◯さんがプラハに入られる旨、了解しました」
と送っていました。
すると、すぐにFAXの返信がきて
「英国航空ではありません、ブリティッシュ・エアウェイズです」
「同じやんけ!」
イラッとしながらも
「申し訳ありませんでした。訂正致します。英国航空ではなくブリティッシュ・エアウェイズ◯◯便…」と
お詫びを送りましたが、肝心な撮影内容以外での、こういうやり取りにああ、どのくらい時間を取られたか!
それにです。
日本の制作会社は長い国際電話会議をしても、何が言いたいのか分からない、はっきり意見を出さない、結局何も決まらない。
無意味な指摘や変更の回数もあまりにも多いのに、結局
「当初のプランでお願いします」
言っていることと、あとでFAXで送ってくる内容が全然違う等もしょっちゅう。
「間に入っているLoloの伝え方に”原因”があるんじゃあ?」
とチェコ人のスタッフらが疑ってくることもありました。
「はっ?何の”原因”?」
ここで日本特有の「建前と本音」について話しても、全然理解してもらえません。
そういう意味では、エジプト人と仕事する方がまだやりやすかった。なぜならエジプト人は日本の仕事のやり方を既によく分かっていたからです。
チェコ人たちがもう一つ驚いていたのは、日本時間が深夜なのに日本人たちが会社に居残っており、その時間帯にもバンバンFAXや国際電話が入って来ることでした。
「あれ?日本は今深夜1時だよね?まだ会社に残って仕事しているの?」
「ああ、ディレクターが一週間泊まり込みで編集作業をしているから」
など私が答えると、「信じられない」とあんぐりされました。
その上、たった数分番組の撮影のために、数ヶ月前から時間をかけること、さらにわざわざお城や劇場でも、お金をかけて「貸切撮影」をすることも普通だったことに、チェコ人たちは驚愕していました。
撮影許可書申請は辛いよ?
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何の番組撮影にしろ、日本側はいつも
「プラハの顔でもあるカレル橋で撮影したい」
カレル橋からはプラハ城も見えます。ミック・ジャガーがお城をライトアップするライトを寄付してしまったため、特に夜はとても美しいエリアです。
つまりミック・ジャガーのせいで、夜も輝き「映える」場所になってしまったため、夜に撮影するのが可能になってしまい、日本は
「夜の月とライトに照らされたカレル橋とプラハ城をセットで撮影したい」 と、必ずそのリクエストをしてきました。
だけどもです。カレル橋の撮影許可申請が厄介でした。手間がかかるのです。
きっと、まだこれも社会主義システムの色が残っていたせいだと思いますが、思い起こすとその点エジプトは簡単でした。役所にコネがあるスタッフに任せれば、人脈と賄賂で一発で撮影許可がおりたからです。
軍事施設を映さないようにということだけを気をつけて、そして日本のエジプト大使館も、エジプトのネガティブなイメージの映像さえ映っていなければ(乞食の子どもたち等)、特にクレームも入れてきませんでした。
「プラハの会社は撮影申請の手続きが面倒だから、申請手続きをしたくないー」
そこである時、チェコ人スタッフがこう言ってきました。
「Loloさん、日本側には『カレル橋の撮影許可費用は最低400万円はかかる』と伝えてください」
「えっ?」
驚きました。橋をちょろっと撮影するのに、400万円もかかるわけがありません。
でも
「そこまでの金額を払えと言えば、日本側は引き下がりますから、そう言ってふっかけてください」
「…」
エジプトも日本のピラミッドや遺跡貸切撮影には結構強気でふっかけていましたが、それ以上の金額です。
「400万円、撮影料を払ってくださいとは言えません」
私が反論すると
「じゃあ、深夜か早朝にこっそり撮るようにスケジュールを立てましょう」
「えっ?撮影許可無しでこそっと撮影敢行しようと?あの、撮った映像は日本のチェコ大使館に見せるのですよ?無許可撮影が追求されたらまずくないですか?」
「大丈夫大丈夫。『ミッション・インポッシブル』(1996年公開)の映画の時だって、トム・クルーズですらも無許可でこっそり深夜にカレル橋で撮影したんだから。あはは」
そんなわけがない、絶対嘘だと思いましたが、本当によほど面倒くさい申請手続きをやりたくなかったのでしょう。ちなみにお城や図書館、劇場などはいつもあっさり撮影許可が下りていました。橋だけがどういうわけか、大変でした。
そんなこんなで毎回どんな撮影でも、カレル橋での撮影は毎回深夜から早朝にかけて、無許可でこそこそ行ないました。
最初は「無許可撮影、大丈夫なのかな」とちょっとびくびくした私でしたが、エジプトと違い、兵士や警察の見張りがいなかったので、現場では問題は発生することはありませんでした。
それに、無許可撮影のVTRを見たチェコ大使館から苦情が入ることも皆無でした。
その後、
「カレル橋の上での出演者さんの歩行シーンですが、どうしても背景の日の出の映像が気に入らないので、もう一回、明日の早朝に撮り直ししてきます」
「カレル橋のサンセットシーンをもう一度撮影したい」
など、やたらと日本人ディレクターが撮り直しを希望することに気づくと
「ああ、こりゃあいちいち毎回許可申請していたら、やってられなかったな」
と思うようになりました。ちなみに、とにかく「撮り直し」が好きでしたね、日本の撮影隊は!
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そう言えば、一回だけ
「カレル橋の撮影代が400万円?分かった、払う」
とあっさり返事した日本の制作会社がありました。
驚きましたが、某大手広告代理店でした。撮影の内容はウィスキーのコマーシャル撮影だといいます。
もともとテレビ番組とコマーシャルの予算は雲泥の差があり、コマーシャルを撮影を受けると、現地コーディネート会社もかなり稼げました。
コマーシャルを外国で撮影するのは当たり前でしたし、コマーシャル撮影に動くお金は凄かったです。
結局、この仕事は西ヨーロッパの別の国に流れ、チェコ会社はがっかりしていましたが、しかしです。
そもそもウィスキーのコマーシャル撮影舞台にプラハの街が候補に上がったのに疑問です。なぜなら、チェコはビール、ワイン、ウォッカの国ですから!
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チェコのSMの女王様
チェコの撮影コーディネート会社では、殆どがテレビコマーシャル(くどいですが、CMを撮るのに外国ロケは当たり前でした)か旅番組、クイズ番組でした。
取材したがる対象・内容は毎回似たりよったりで、次第に私はあきてきました。
そんな時でした。別の撮影コーディネート会社がイギリス大手のテレビ番組の撮影を手掛けることになりました。
このコーディネート会社の社長を私はすでによく知っていたので、ダメ元で
「見学したい。同行させて欲しい」
とお願いをしました。
ちなみに社長はユダヤ系でしたが、私の印象ではチェコにはユダヤ系はそんなにいなかったです。ハンガリーには多かったけれども。
ユダヤ系だからなのか、書いちゃうとコーディネート会社名は「バベル・コーディネート会社」。
「えっ?バベル?潰れちゃうじゃないですか!」
私が言うと、そのユダヤ系チェコ人社長は
「ああ、よくそう言われます。でもバベルという社名は一発で覚えるでしょ?わはは」
案の定、この数年後に「バベル」会社は倒産するのですが、イギリスの取材テーマは「リアル・チェコ」。
そのため、彼らはあえてドイツに飛び、ドイツから陸路でチェコに入りました。
というのはです。ドイツとチェコの国境のところには、大きなコンドーム専門店があり、そこの撮影予定もあったからです。
あれもそれも日本製に限るよ!
「日本製のガムテープ、持っていない?」
イギリスの大きなテレビ局のディレクターは、チェコ人たちスタッフにくっついてきた私を見て真っ先にそんな質問をしました。
ちなみにエジプトで観光ガイドの研修をした時、アメリカ人グループに入れられましたが、何となくあの時のことを思い出しました。
「なぜ日本人がここに混ざっている?」状態です。
とにかく、私は一応日本のマジックペン、ガムテープ、画用紙など持ってきていたので
「よければ全部使ってください」
「ええ?いいの!?嬉しいなあ」
イギリス人ディレクター氏は嬉しそうに顔を輝かしました。そして私が手渡したガムテープを早速使用し、
「ああ快適。ちゃんとくっつく!」
どういうことかなのかといえば、彼らはイギリスからこういったものも持参していましたが、日本製の方が優れているのを知っていたし、実際そうなのです。
ちなみにチェコの文具品は全部酷い代物で、チェコ製のセロハンテープはセロハンテープなのに全然くっつかず、全くセロハンテープの役目を果たしていませんでした。
糊も糊なのにくっつかないし、チェコ製のハサミも切れが悪い。ハサミなのに紙を切れない、ハサミの機能を果たしません。ペンだってすぐにインクが出なくなり、全然ペンではなく、どれも「文房具」を名乗る資格がありません。
エジプト製の文具品もどれも酷かったですが、チェコもそれに負けないくらい劣悪なクオリティでした。
しかし日本製の文具品はどこの国でも評判が良く、それは今でも変わらないと思います。
Which country is best for stationery?
Japan is the ultimate haven for stationery enthusiasts, offering a diverse and unique array of pens, notebooks, inks, and other writing tools that cater to both functional and aesthetic preferences.2024/02/18
イギリス人ディレクター氏が「日本の文房具は最高」と絶賛していると、イギリス人ADが「俺はMONOの消しゴムをずっと愛用している」と口を挟んで自慢してきました。そして、
「メイド・イン・ジャパンで優秀なものは文房具だけではなく、車とカメラ。それから、あれだ。コンドームだ。日本のコンドームは素晴らしい」
「日本のコンドームは香り付きや色付きがあって面白いんだ」
「そうなんだよなあ。流石日本だよ。コンドームまでLOVELY(ラブリー)なものにしちゃうんだからなあ」
「ハローキティ柄のコンドームもそのうちできるかもな。イヒヒ」
眼の前でイギリス人たちに日本のコンドーム絶賛をされ、何て答えればいいのか弱りましたが、これからドイツとチェコの国境にある大きなコンドームショップを取材するので、その話題になったのも無理はありませんでした。
なぜ大きなコンドーム店が両国の境にあったのかといえば、チェコでは売春が合法で、しかもそのサービスの料金が安いため、週末になるとドイツ人が車で越境してチェコに入国していたからです。買春ツアーならぬ買春週末です。
ドイツ人男性は毎週末、プラハの風俗にやって来る。そして、ドイツ人の家族連れは同じく車でチェコに入って来て、一家で大型スーパーに押し寄せ、大量の安い食品も買い込んでいました。
「今のプラハを紹介するには、そういう実態も取材しないと」
イギリス人ディレクターが言いました。
日本の取材撮影では
「旧市街にある、時を告げる時計が可愛いですね、人形劇が伝統ですね、ビールが美味しいですね、お城が雰囲気ありますね。プラハの町は”おもちゃ箱”のようですね」
こういう紹介ばかりでしたから、あまりにも次元が違います。
国境のところのコンドームショップには私も入店してみました。
本当です、日本製のものが多かった。そういえば、カイロの薬局でも日本製コンドームが必ず売られ、高いのにも関わらずよく売れていたようでした。
バベル・コーディネート会社社長がにやにやしました。
「日本製の電化製品も丈夫で、ペンも壊れないし、車だって頑丈だ。日本に行った時、購入した安い服もいまだに着られている。その上、日本製はコンドームだって丈夫で絶対破れない。素晴らしい。
でも絶対破れないということは、日本の少子化につながるんじゃないかね、わっはは」
うるさいなあと思ったので、
「バベル社の経営も日本製のコンドームぐらい頑強だといいですね」
と私は返しておきました。
チェコのSMの女王様
性産業が盛んなチェコでは、風俗の店はいくらでもありました。のちに私はプラハの大きな病院に入院するのですが、そこのナースたちも、副業で夜の仕事をしていました。
「看護師の給料は安いから、これだけではやっていけない」
と全員が口を揃えました。給料や待遇の良いアメリカの看護師とは真逆です。
日本のようなキャバクラはないので、夜の仕事とは、いわゆるエスコート嬢や身体を売る仕事が主でした。
取材を受けたチェコ人女性たちは、堂々とインタビューに答えていました。全員ものすごい美人だったものの、表情があまりない気はしました。
風俗の中でも一番需要があるのはSMクラブだと、バベル社の社長が言いました。
「そんなにチェコの男性は痛めつけられたいのですか?」
私が驚くと、社長は
「ロシア人やドイツ人に昔さんざん(別の意味で)痛めつけられたでしょ?そういうノスタルジーじゃないですかね?」
「はあ…」
「Loloさん、私もちょいちょいSMクラブには行きますよ」
「左様ですか…」
チェコ人の下ネタ記事はまた別の機会に書くとして、イギリス人撮影隊はプラハ市内のSMクラブへ取材に行きました。
お客役にはバベル会社社長に演じてもらったのですが、本当に嬉しそうに女王様に鞭で叩かれ、ブーツのピンヒールで背中とお尻を踏まれていました。
燃えるような真っ赤な髪の毛をした女王様は、ものすごい迫力のある美人でした。
言葉は全然通じなかったものの、物珍しくきょろきょろしている私に、あれこれといろいろな”道具”を見せてくれ、使い方の説明とか熱心にしてくれました。
チェコ語は分からないはずなのに、不思議とこういうのは何となく相手の言っていることを理解できます。ちなみに”SM道具”も日本製が丈夫で安心、と女王様は絶賛しました。
最後に女王様はバベル社長に、私を見ながらチェコ語でべらべら話しかけました。
「私のことを言っていましたよね?女王様はなんといったのですか?」
「日本人は珍しいので、できればLoloさんを雇いたいと」
「えっ?」
「でも、LoloさんはSじゃなくMなので、女王様には向いていない、残念だとがっかりしていますよ」
「はっ?」
「女王は一目であなたがMだと分かったそうですよ。プロなので相手が誰であれ、SかMか一発で見抜くみたいです」
言われてみれば、変な国ばかりあえて選んで住んでいるので、実はMなのかもしれません。チェコの美人SM女王様、凄いです。
でも、もし「S」と思われたなら、プラハのSMクラブに勤めるように熱心に口説かれたのかもしれません。そして「もし」受けていたら、ドイツ人やチェコ人をガンガン鞭で叩いていたわけですよね?惜しいことをしたかな!?
撮影コーディネートの回、後半に続く
前回
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