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エジプトのギリシャ人たち - つい昨日までは、エジプトはギリシャのものだったんだぜ!
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『エルグレコ』というモダンでオシャレな高級ギリシャ料理レストランがカイロにオープンした。オーナーはやり手の実業家のエジプト人だった。
90年代当時、カイロには外国料理レストランの数自体が少なかった上、美味しい店はほとんどなかった。
ナイルヒルトンホテルには、一見素敵なイタリアンレストランが入っていたが、如何せん不味かった。
パスタはどれも茹ですぎで、伸びきっているパスタばかり出てきたものだ。
インド料理は、ギザのオベロイホテルの中の超高級インドレストランしかなかった。
というのも、エジプト人といおうかアラブ人はは辛いものが食べられない、苦手なのだ。なので街中にはカレー屋は全くなかった。
ザマレック地区にあった、韓国人が経営する焼肉屋は美味しかったが、日本食や中華もたいしたレストランが全くなかった。
その後、90年代半ばに急激に頭角をぐいぐい伸ばしてきたドバイに、一流外国レストランは全て独占されたという印象だ。(90年代初頭まではドバイも冴えなかった!)
カイロは全体的に、外食レベルが低い街だった。とくに外国料理はろくなレストランがほとんどないのが現状だった。
そこに登場したのが、冒頭のギリシャ料理レストラン『エルグレコ』。
閑静な高級住宅街の中にあり、ギリシャ神殿をイメージした外装と内装がゴージャスだったこと!
そんじょそこらのレストランとは格が違うという雰囲気で、気合いが入っていた。
オープンして間もない頃、私も日本人の女友達と二人で『エルグレコ』に行ってみることにした。
事前に予約して行ったのだが、ドアマンに彫工装飾の重い扉を開いてもらうやいなや、まあびっくり!
レストランの中はエジプトじゃない!完全にギリシャだった!
広々とした店内は満席だったが、富裕層のエジプト人が1割、あとの9割の客はギリシャ人!
エジプトにはこんなにもギリシャ人が住んでいるのか、とキョトンとしたが、ギリシャは地中海を挟んですぐのロケーションだ。
近い国なので、それだけギリシャから人々が大勢エジプトに住んでいても不思議じゃない。
私たちの目をひいたのは、フロア中央で踊り明かすギリシャ人の集団だった。
椅子の上に(土足のまま)立ってリズムを取っているギリシャ人オッサン連中もいたが、
ほかは大きな円陣を組んでギリシャ音楽のBGMに合わせ、ほいさほいさ足をあげて踊っていた。しかも皿を床に投げながら!
ギリシャ人は踊る最中に皿を割る伝統があるらしい。
でもガッシャンガッシャンと大きな皿が割る音が響くたびに、エジプト人のウェイターたちが嫌な顔をしていた。片付けが大変だし床も傷つきますな。
友人と私は隅っこのテーブルに座ったが、日本人なので目立つ。すぐさま陽気なギリシャ人たちが声をかけてきて、「Let's dance!」と誘ってきた。
「あ、デジャブだ」と思った! 古いアメリカ映画で『その男ゾルバ』というギリシャが舞台の物語があるが、同じシーンがあの映画にもあったものだ。
ギリシャ人が主役(アメリカ人)にレッツダンス!って声をかけていたなあ...
ギリシャの女性はみんな肌をあらわにした格好をしていた。誰ひとりとして、イスラム教の国という配慮はない!
彼女たちは堂々とタバコをくわえて、ウゾの酒もがぶがぶ飲んでいた。夫以外の男性と踊ったりキスの挨拶もする。エジプト人女性には考えられない!
グループの中には、よく見るとエジプト人の女性も2,3名まざっていた。イスラム教徒ではなく、クリスチャンのエジプト人女性で、それぞれギリシャ人男性の連れだった。
傍で見ていると、ギリシャ人男性たちは、ぞんざいな感じの態度だったが、
エジプト人の女性たち(みんな可愛くてミニスカート姿だったのが印象的、クリスチャンでもエジプトの女性のミニスカート姿は稀だったので)は彼らに好かれようと一生懸命頑張っていた。
「ああ彼女たちは結婚してギリシャに行きたいんだろうなあ。でも実現しなさそうだなあ」と、何だか気の毒に思えた。余計なお世話だけど。
多分、『エルグレコ』にいたギリシャ人は合計30人ぐらいだった。職業はギリシャ大使館勤務、ツーリズムの仕事そして船会社に勤めている、という顔ぶれだった。
船員というギリシャ人たちは全員、船で日本に来たことが何度もあった。
「でも、日本人は誰もGreeceを知らないんだよ!
僕はGreekだ、と言っても日本人みんなキョトンとしていた。
Greeceを知らないのは本当に驚いたしショックだった」。
えっ?ギリシャの位置が分からなくても、ギリシャの国名を聞いたこともない日本人だなんているだろうか?
私は首をかしげた。そしてすぐにアッ!と気がついた。
「アラビア語でgreeceの国をユナーンと言いますよね?
言語によって国名の呼び方が変わりますよね。Greeceは日本語で『ギリシャ』と呼ぶんです。
あなた方は、greeceやらヘレス(ギリシャ語でギリシャ国)から来た、と日本で言っていたんじゃないですか?
『ギリシャ』って日本語読みで言わなかったんじゃないでしょうかね?」。
...!!!
ギリシャ人のオッチャン全員一斉に
「おおぉぉぉ!!」。目を大きく見開き、手を叩いた。
日本でも日本語独自による国名の呼び方がある、というのに全く気付かなかったギリシャ人船員たち! 笑
すると周りのギリシャ人若者たちも、話に加わってきて「日本語ではヘレス(Greece)を『ギリシャ』というのか! 『ギリシャ』! 面白い語感だな!」。
『エルグレコ』での出会いがご縁で、その後私たちは彼らの「飲み会」にも呼ばれるようになった。
全ての飲み会で必ず、ギリシャ人たちはやっぱり毎回豪快に皿を割りまくっていた!
在カイロのギリシャ大使館にも「遊び」に行ったが、勤務中の真っ昼間からウゾの酒(ギリシャ酒)を飲んでいて、びっくり仰天。
しかもそのうちひとりのギリシャ人のオッサン(大使館勤務です、再度言うけど!)は、仕事中にウゾですっかり酔っ払い、えんえんと
「love is life, life is love, love is life, life is love...」と繰り返していたのが忘れられない..ヤバすぎる...
エジプトに住むギリシャ人たちは、基本的に同じギリシャ人同士でしかつるんでいないようだった。
地中海に面したアレキサンドリアの港街(エジプト第二の都市)には、数百人のギリシャ人が住んでおり(もっといたかな?)、
在カイロのギリシャ人もカイロから駆けつけ、一ヶ月に一回の割合で、定期的にアレキサンドリアにてギリシャ人大宴会も行っていた。
エジプトのギリシャ人、とくにアレキサンドリアに住むギリシャ人と話すと、
なんていおうか、いまだにグレコローマン時代の感覚で止まっていた。アレキサンドリアをまだギリシャの街ととらえているのだ。
ここがエジプト国内というのはもちろん分かってけれど、それでも
「アレキサンドリアの街を造ったのは、私たちギリシャ人です」。
エジプトに文明をもたらしたのはギリシャだ、エジプトに教養も哲学も道徳も全てもたらしたのはギリシャだ、と彼らは胸を張って言いきった。
普段は私の出会ったギリシャ人はひとりだけ除き、あとは全員エジプトを嫌っており、いつもエジプトをディスってばかりだった。
まずイスラム教への嫌悪、そしてエジプト人イコール信用ならない、という悪口をエンドレスに言っていた。
エジプトの外国人に限らず、在日本の外国人もたいてい日本の悪口で盛り上がっている。そういうものだ。だからエジプトの悪口はともかく、私が一番驚いたのは、
「そもそもな、エジプトはギリシャに支配されていたんだぜ。
つい昨日まで、エジプトはギリシャの一部だったんだぜ」
と言っていたことだった!
だって、
いやいや、アレキサンダー大王の時代って紀元前300年とかだよね?
二千年以上も大昔の支配のことを、まだ威張っているのか!
他にはギリシャ語は世界一美しい言語だとか、ギリシャが哲学や数学を世界中に教えたとか、ギリシャこそ世界中で憧れられている国なんだとかいう自慢もくどかった。
しかし、
紀元前数百年の時の栄華の自慢をつい昨日のことのように、くどくど言われても、返答に困る。
1980年代のバブルを引きずる日本人どこじゃない!
エジプトのギリシャ人たちと親しくなったご縁でその後、私はギリシャに飛んでみた。彼らがさんざん褒めたたえまくっていた国を実際に見てみたくなったのだ。
確かに地中海を越えただけで、こんなに何もかも違うんだなと思った。
アテネはカイロに比べれば近代的だった。巨大スーパーがあって公共のトイレはどこも清潔でちゃんとトイレットペーパーもあった。
野犬やこじきの子供たちを全く見ない。ギリシャのロバはエジプトのロバよりずっと幸せそうだった。
一番感激したのは、アテネのタクシーは料金メーターが動いており、運賃をぼったくらなかった。お釣りもちゃんと渡してくれたことだ!
ア然としたのは、朝っぱらから女同士がジャンケンポンして、負けた方が衣服を脱いでいく、というエッチでくだらない番組が放送されていたこと。
子供が見る時間帯でも、わりとエッチな番組は流れていたように思う。ギリシャ神話からしてそうなのだけど、やはりエロスの国なんだろうなあ..
クラブに行くと、ウケたのがエジプトで流行った『ワナワナ』のポップスの、ギリシャ語バージョンの歌ばかりがかかり、ギリシャ人たちみんながベリーダンスをしているのだ!
エジプトに住むギリシャ人たちは、さんざんギリシャとエジプトは全然違う、共通点などゼロだと言っていた。でもやっぱり似ているじゃないか!
ちなみにせっかくなので、ちょっとアテネにも住んでみたいなと思った。それで在アテネの日本大使館に行って聞いてみた。
「この街に住んでみたいのですが、何か日本人向けの仕事はありませんか?」。
すると窓口の日本人女性がとても感じの良い方で、日本人スタッフを募集しているという旅行会社の連絡先をいくつか教えてくれた。
そのうちの一社で実際に私は働いた。結局またアラビア語の勉学のためにカイロに戻ちゃったのだけど。
ところで、90年代は世界のあちこちで日本人の求人があったと思う。ラスベガスの巨大ホテルが、日本人のホテル案内ガイドを募集している、
ドバイのホテル/旅行会社が、タイのホテルが、地中海クラブのクルーズ船が日本人スタッフを探しているだの、結構次々に私の耳にも入ってきていた。今はどうなのかな...
エジプトから行ったせいもあって、ギリシャは全体的に「まとも」に感じた。嫌なこともほとんどなかった。
ただし日本やイギリス、ドイツ、アメリカなどからやって来た日本人たちは「こんな遅れている国なんて!」とぼやいておられた。やはりどこから来たか、が同じ日本人でもそれぞれの感想の違いに繋がるのだろう。笑
また見ていると、ギリシャは国全体的にアラブ人の出稼ぎ者たちにはとても冷淡だった。
人手が欲しい時はどんどんアラブ人労働者を呼び寄せ、景気悪化で彼らが要らなくなると、手の平を返す態度..まあどこの国でもそんなものなのだろうな...。
時は流れて、今年の2021年夏。
エジプトで知り合ったギリシャ人数名からテキスト(メール)が来た。
そのうちの大半は、もう十年以上連絡しあっていない。それなのに突然連絡が続々...
何かな、と思いきや、おお!!
「やあ、ローロー、ヤ・サス(ハロー)!東京オリンピック開会式を見たよ!
ヘレス(Greece)を『ギリシャ』と紹介したのを聞いて、久しぶりに君を思い出したよ!」。
カイロのギリシャレストラン『エルグレコ』で、
「日本語で『ヘレス/Greece』は『ギリシャ』って言うんですよ!!」
あの時の、私の言ったこと!
彼らは東京オリンピック開会式をテレビで見て、だいぶんだいぶん前に私の話した、
『ギリシャ(日本語)=ヘレス(ギリシャ語)/greece(英語)/ユナーン(アラビア語)』」
と、教えたことをフラッシュバックで思い出したそうだ!!!
ギリシャ人選手団入場のときに、
日本語のアナウンスが本当に
「ギリシャです!」と言うのを聞き、ああこれか!
と興奮して爆笑したのだそうだ!
しかしそんなことを言うためだけに、十年以上ぶりに連絡を寄越したとは..しかも何もタイムラグを感じさせず、まるで「数時間ぶりだね!」という感じだったのがスゴイ!
日本人なら、「でももう長いこと連絡取り合っていないから、そんな用件ではメールしにくいな」と躊躇するだろう。
さすがギリシャ人だ。紀元前数百年時代のことも、つい昨日のことのように自慢していただけある!
また十年後、ウン十年後にどうってことないことで連絡くるのかな?
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