最終話:変わり続ける街と変わらない私(茹だる残暑の京都街歩き)
前回の記事はこちらから。
前回はGarden Lab KYOTO(⑦)の中庭で、モヒートビアを飲みながら京都でビジネスをすることについて考えていた。人が多くなってきた16時頃にGarden Lab KYOTOを後にして、北へ向かう。
河原町通という大通りに出てから、北へ向かうとドンドン街並みは繁華街になってくる。四条河原町は京都で一番の繁華街だ。そして途中で昨年末にオープンしたGOOD NATURE STATION(⑨)に寄る。京阪グループの商業施設+ホテルで、GOOD NATUREの名前の通り、ウェルネスをコンセプトにした施設だ。(写真は昨年末のものです)
実はこのGOOD NATURE HOTELはホテル業界の人から結構評判がよいみたい。コンセプト自体は今どきで、悪く言えば「あるある」な感じではあるが、WELLNESS認証を取得するなど、ホテルの作りこみが上っ面のウェルネスではなく、非常に手が込んでいる印象だ。いつか、泊まってみたいと思っている。
中で京都土産を買って、その後にいつものように王田珈琲専門店(⑩)でアイスコーヒーを飲んでモヒートビアの酔いを醒ましつつ、THE GATE HOTEL 京都高瀬川(⑪)へ向かう。
高瀬川とは鴨川の西側を流れる小川であり、元々は京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河であった。今は木屋町と呼ばれる繁華街の中を流れる風情ある川となっている。
そんな高瀬川に面して、立誠小学校という小学校が建てられたのが1928年(昭和3年)。学校の開校自体は1869年(明治2年)であり、この年に移転して今の場所に移ってきた。
第五話でも話をしたが、京都は明治に入ってすぐに、民衆の手で小学校が作られた経緯があり、小学校の規模としては通常の自治体に比べてかなり小さかった。少子化が進み、生徒数が少なくなっていったこともあって、昭和の終わりから平成にかけて小学校の統廃合がドンドン進んだのだが、この立誠小学校も1993年(平成5年)に廃校となった。
その後しばらくは、ほとんど元の校舎に手を入れることなく、自治会所、ギャラリー、映画館・劇場としてイベントが開催されたり、職員室を活用したカフェが入る複合施設として活用されており、私も大学院の設計の授業の一環でこの場所での展覧会に参加したことがある。
しかし、建物老朽化は進み、せっかくの繁華街の好立地の土地を活かしたいという思惑から、京都市が民間による活用案を公募。ホテルを含む複合施設の提案でコンペに勝ったヒューリックが、2018年に京都市から土地を賃貸し、建物を建設。旧校舎の一部を残しながら、今年の8月に立誠ガーデン ヒューリック京都とその中に入るTHE GATE HOTEL 京都高瀬川がオープンした。(詳細はWikipedia等ご覧ください。)
どんな改修がされているか、ホテルの内装の写真はいくつか見たことがあったのだが、工事中は塀に囲われていた敷地の雰囲気など、初めて見るのでかなり楽しみであった。
元の立誠小学校は、高瀬川と敷地の間に柵があり、南側の通りに面したところも塀があって、校舎に一度入らないと校庭に出られない構造になっていた。しかし驚いたことに、今回の改修により、校庭部分が完全に開放されていて街ゆく人の憩いの場となっていた。(上の写真が以前の小学校、下が今回のリノベの結果だ)
左手に見える大きな建物が新築のホテル部分であり、右側に見えるのが旧校舎のリノベ部分だ。まさか、木屋町のど真ん中にこんな広場ができるなんて!という感じだ。新風館(④)の方は建て詰まって広場がなくなっていたが、その広場がこちらに移ってきたようだ。
そして、施設の中にはいくつかお店が入り、中には以前職員室を使って営業されていたカフェ(Traveling Coffee)も入っている。
ホテルエントランスは商業施設の奥に位置するのだが、せっかくだからエントランスだけでも覗かせてもらおう、と思って、中に入るとスタッフの方に話しかけられた。
「少しホテルのデザインとかに興味があって。。。」みたいな感じでお話をしていると、「ホテルの中をご案内しましょうか?」と言ってもらえた。オープンしたところで、宣伝もかねてだとは思うが、急なお願いを聴いてもらえたスタッフの方には感謝だ。
ロビー階は最上階の8階にある。エレベーターが空いた瞬間、東山の山々が一望できる。こんなに南北に長くハイサイトの窓面が設けられた展望スペースは希少な場所だ。レストランにはテラス席もあって、気候の良い季節には外で食事ができる。(普通に利用してみたい、、、)
客室もいくつか見せてもらえたが、校舎をリノベーションした客室は天井高さが高くて気持ちがよさそうだった。また、ある客室には、元校舎の構造や法令上の都合からか、天井の低い変なスペースがあり(実際の断面を見ていないので仕組はわからない)、そこがテラリウム的な坪庭的な何とも不思議な空間となっていた。
こんな感じでホテルの案内を受けて満足に帰路についたのだが、今一度この立誠ガーデン ヒューリック京都という施設から京都の街のことについて考えながら、この街歩きエッセイの締めとしたい。(ちなみに最終地点は一応、京都市役所前だ、京都市役所も今改修中)
この施設は先にも書いたように、京都の地域自治の象徴である元小学校の再生だ。このあたりに住む人はもちろん、この地域で商売をしている人、元々小学校に通っていたOB、いろんな人の思い出を背負って、新しく建物を生まれ変わらせるというのは生半可な覚悟でできることではない。
地域の方々の思いを汲み取れておらず、企画側の独りよがりになっているところがあるかもしれない。元の校舎をもう少ししっかり改修していくべきだという意見もあるかもしれない。そもそも、東京資本の企業が入ってくるということだけ嫌悪感を示す人もいるだろう。
それでも、工事中に敷地の際のところにできたプレハブの町会所で夏祭りが行われていたのもみていたし、新しい建物の中にもこの小学校の歴史にまつわる図書コーナーもあるし、デベロッパーとして事業性を担保しつつ、その中で最大限に地域への配慮もしてきたのだろう、と容易に想像がつく。
1人の京都人として、そして不動産会社で働く者として、この人で賑わう芝生と商業施設を見て、ホテルを案内してくれる親切なスタッフさんと話をして、この施設ができてよかったのではないか、と純粋に思った。これはあくまで私の思いであって、実際には数年後、数十年後にこの建物がどのように街と成長していくのかを見届けてから、本当の評価を決めるべきだと思う。
街は変わり続ける。以前から何度か書いていることだけど、古い建物だから残せばよい、という話ではない。かといって、価値あるものや使えるものが簡単に壊されていってよいものでもない。街の記憶や人の想いを引き継ぎながら、センス良く変化していくというのは、なかなか難しい。
その変化は時に痛みを伴うだろうし、失敗もするだろう。だけど、京都の街は、そんな痛みや失敗をある程度許容できるレジリエンスを持っていると思っているし、これからもこの変化をなるべくポジティブに捉えることのできる視座を持っていたい。(楽観的過ぎるか)
自分も変わり続ける京都を傍観しているだけではいけない、と思いつつ、結局今日も変わらず埼玉の社宅でカタカタとタイピングをして夜が更けていく。
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