熱燗二合の恋
2023年10月20日、私はマッチングアプリで出会った女性と待ち合わせをしていた。相手の女性とはお互いに趣味が一致するところもあり、アプリ上では会話のキャッチボールが続いていた。相手の女性は当時28歳であり、趣味はボードゲームとマラソン、そして中型バイクでのツーリングであった。またお酒も嗜むようで、友人や会社の同僚などとよく飲み会に行っている様子であった。
私の趣味と言えば、自動車運転とネットゲーム、アニメやミリタリーといったオタク趣味ばかりであった。そんな私もモスクワから帰ってから予備自衛官を目指し、多少なりの体力錬成を行い始めた矢先であったので、マラソンという話題には興味があった。折しも予備自衛官補の訓練を7月に終えて毎日のように実家の周辺を走っていた時期でもあり、相手もそんな私の話に興味を持ってくれたようであった。
やはり趣味の一致というのは人と人が距離を縮めるのに大きな役割を果たすもので、アプリ上での会話もそこそこにお互いの連絡先を交換しあい、一緒に晩ごはんを食べようという話になったのである。
季節は夏から秋に移り変わる時期であり、その日はいつまで続くかわからないような夏の暑さも鳴りを潜め、一気に肌寒くなった日であった。
「急に寒くなったので鍋でも食べませんか?」
そう誘ったのは私の方からであった。相手の方も酒を嗜むとわかっていたので、フレンチやイタリアンといった気の利いた晩御飯よりは、居酒屋で酒を飲みながら本音で話そうと思っていたのである。男も女も最初は見栄を張るものであるが、しかしいずれはメッキがはがれて「本性」がお互いに分かるものだ。そしてその「本性」が理想やイメージと異なると、お互いに金と時間を浪費するだけに終わってしまう。であるならば最初から本音で話し合える方がよい、と考えていたのである。
「鍋いいですよー」
と相手の方は快く応じてくれた。正直に言って実際に会うまでこの人と仲良くなれるとは微塵も思っていなかった。むしろ「どうせすぐに女の方からバイバイするんでしょ」程度にしか思っていなかったのである。期待もせずに待ち合わせ場所に着いた私を待っていたのは、ニコニコと笑うおっぱいの大きな愛嬌のある女性であった。内心「おっ」と思ったほどであった。
流石にエロ漫画のように非現実的なほどの大きさではないが、一般的に言えばまぁ大きな部類に入る方だろう(今となっては私の手がちゃんとその大きさを覚えている)。
私は彼女と一緒に居酒屋に向かった。その日は暗くなってからコートが必要なほど寒くなっており、待ち合わせ場所から店までの歩いて数分程度の距離ですら、身体がよく冷えたのを覚えている。
店に入ると、すぐに席に通された。最初の一杯はお互い生ビールを頼むことにして、料理はもつ鍋と、枝豆を注文する。すぐに鍋とカセットコンロが準備され、生ビールが二人のもとに届いた。
「「初めまして!かんぱーい」」
私たちは挨拶もそこそこに乾杯をし、一気にビールを煽った。彼女の方も、一気にジョッキの半分くらいを飲んでいる。今どきの女の子にしては実にいい飲みっぷりであり、この時も「おっ」と私は思ったのであった。一息ついたところで、お互いが改めて自己紹介を始める。間近で見てみると、なかなかどうして、アプリ上の加工された写真よりも可愛らしい子だなと思った。
自己紹介と言えば、名前、年齢、職業の順番がスタンダードだろう。私もその流れで話したが、ご存じの通り私の場合は少々楽しい経歴が混じることになる。
ロシア留学と言うネタは、ネットの海のみならず香川県の居酒屋でもその威力を発揮したのであった。話題のインパクトの強烈さもさることながら、持ち前の話し方も手伝い、すぐに彼女は私の話の「聞き手」になった。こうなってしまえば会話の主導権はこちらにある。
自慢と苦労の入り混じった私のやや長い自己紹介が終わるころ、二人は一杯目の生ビールを飲み終えていた。二杯目の注文は彼女がハイボールを、私は再び生ビールを注文する。
今度は彼女の自己紹介の番であった。どうやら彼女は地元のジュエリーショップで働いているようで、事前にアプリ上で話してくれた通り、ボードゲームとマラソンが好きなようだった。驚いたことにマラソンはハーフマラソンやフルマラソンに参加するほどで、ぽやんとした見た目に反して結構しっかりと走っている様子であった。
二人の自己紹介が終わり、枝豆が皮の山に変わった頃、鍋はグツグツと言い始める。私は鍋のふたを開け、湯気と醤油の香りが立つもつ鍋の具を彼女によそう。
「ありがとー!いただきまーす!」
と元気で無邪気な笑顔で、彼女は湯気の立つもつとキャベツを頬張った。
これは今でもそうなのだが、彼女はおやつにしろ食事にしろ、何かを食べる時に本当に幸せそうな顔で食べる。
「おいしい!やっぱり寒い時は鍋ですね!」
と彼女が私に微笑んでくれた時、「あっこの子はいい子だな」と直感的に感じた。『目』に邪気がないのだ。
人間三十歳も手前にもなると色々な人間の『目』を見てくる。どんなに着飾っても、取り繕っても、『目』だけは嘘をつかない。「この子の『目』は綺麗だな」とそう感じたのだ。彼女の『目』と食べっぷりに感心していると、ふと彼女のジョッキが既に空になっているのに気が付いた。
自分で言うのもなんだが、私自身はそこそこ飲むペースも早ければ飲む量も少なくはない方であると思っている。そんな私と同じペースで酒を飲む女性を見たのは大学の友人以来、二人目であった。食べっぷりも飲みっぷりもいい彼女に、私は段々と惹かれていくような気がした。
彼女は次の飲み物を注文するべく店員に声をかける。
「すみません!熱燗下さーい!二合で!」
初めて会う男の前で熱燗二合を頼む女がいる。居酒屋の喧騒の中、恋に落ちる音がした。それは熱燗二合で始まる恋であった。