フリートークに必要なこと
極論・話す技術はいらない
先日アンケートにおいて「フリートークに必要なのはどんな技術か」というアンケートを取らせていただいた。
その時に多くの人が話す技術と聞く技術両方必要と思って回答を頂いた。
もちろん両方の技術があれば越したことはない。
だが人間何か基準を上げるときに複数同時に上達することはできない。
そして意外と思うかも知れないが、フリートークに必要な技術は聞く技術のほうが大きなウエイトを占める。
実際私は話す技術は低い。
それでもフリートークで困ったことはない。
私が持っている話す技術というものは人と会話できる程度の一般的な技術しか持ち合わせていないのだ。
フリートークという定義
何を以ってフリートークとするかを把握していなければ語ることはできない。
私が定義するフリートークは「話しているところを人に見てもらう前提でセッティングされたもの」としよう。
つまり、日常生活で行なわれる雑談や対談。
マスメディアであればインタビューはフリートークに含まない。
このことでラジオやバラエティ番組のトーク、一般人が行なうものであれば配信が該当するだろう。
つまり、普通に生きている上でフリートークの技術など必要ないのだ。
だが今の世の中配信という形で会話の勉強をしていない人が電波に自分の会話を乗せられるようになった。
そのことで人前で行なう会話の基礎基本ができていない人が増えて、その基本を無視したものを視聴して育つという悪循環が発生している。
その具体的な例として「イジリ」がある。
お笑い番組などで行なわれているイジリというものは、あくまでも商売として人に見せる同意が取られているからこそ成り立つものであり、配信などでほかの人をいじるという行為は相手が受け答えのできる前提となる。
イジリに対して怒ったり、対応できない人間のことをイジった側が「空気が読めない」と言って非難するのはそもそも筋違いなのだ。
このようにフリートーク……というよりも普通の会話をする上でNGとされることも今まかり通る可能性がある。
そのためフリートークというものの基礎は普通の日常会話と知っている前提でこの記事を読み進めていただけたら幸いである。
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長峰永地の哲学note
毎日更新しているnote 人とはどのように生きるのかを一緒に考えて参りましょう
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