成仏日記【7】父の人間性~生活態度~
こんにちは。Zakkoです。
成仏日記も7回目。今回は、父の生活態度に迫っていきます。
父は生活態度が好ましくない人間だった。職業柄、一通りの生活力は持ち合わせているはずで、なおさらたちが悪い。
まず、テレビは大音量で流す。隣の家に聞こえるレベルだ。本当にうるさい。音が大きいというのはそれだけでストレスなのだ。しかも、自分だけが好きなF1の番組を観るので、誰も父のそばに座って一緒に団らんを過ごす者はいない。
振り返ってみると、父は大音量で流すことで「何観てるの?」と声を掛け一緒に観てもらいたかったのかもしれないが、逆効果である。おかげで私はF1が好きな男には近づかないようにしてきた。
生活態度とは少し違うかもしれないが、父は亭主関白の見本のような男だった。辞書で引いたら読むより父を見せる方が早い。
例えば、母のことを「お前」と呼び、自分の方が近いリモコンを「取って」というし、出された食事の味や温度が好みでなければ「やり直し」という。食事の配膳も子どもたちの当番制で、もちろん食器を流しまで片付けにいくことなど絶対にない。お弁当の中身は全て手作りでなくてはならず、昨晩のおかずと同じものが入っていたらそれだけ残す有様だ。
家事も一切やらなかった。制服のアイロン掛けもピンを付けるのも母の仕事で、位置や向きを間違えると怒られた。じゃあ自分でやれよ、とは口が裂けてからしか言えない。電話も来客も全部子どもか母が対応した。
もう、本当に一昔前のテレビに出てきそうな父であった。他の家のお父さんが違うと知ったときの衝撃たるや。
「誰のおかげで飯が食えていると思ってるんだ」と真顔で言う男を、私は父以外に知らない。仮に思っていたとしても、それを子どもの前で言う必要があるだろうか。全く以て意味がわからない。確かに、母は専業主婦で一家の収入は父に委ねられていたが、それは父が望んだことであった。お弁当も、アイロンがけもなにもかも母がやっているのに、「誰のおかげで飯が」うんぬんとはいい度胸である。当時の私は、言葉通りに受け取って「お母さんがご飯を作ってくれるから」と応えて、父の苦笑いを頂戴した。
後から思い返しても胸くそエピソードなのだが、私は夫婦というのは人生のパートナー関係であると捉えているので、専業で家事を担うのと、稼いでくるのと役割を分けていても「お互いのおかげで飯が食えている」と考えている。どちらが欠けても、生活は維持できない。
父の語録はまだある。「俺は仕事で稼ぐから、お前は家のことをやれ」と母に言うのが口癖だった。本当にこんなこという人が現実に居るのか、と実の娘でも思った。本の中でもなかなかお目にかかれない台詞である。
子ども達が何か粗相をすると、全部母のせいになった。「お前のしつけが悪いからだ」「教育が失敗した」と言う。これを子どもの目の前でやるのだから、頭のネジがどうなっているのか見てみたいものだ。
自分が何かやらかすと母まで怒られるので、私はとにかく何か間違いを犯さないようにと気を張って生きていた。常に正しくないといけないと思い込み、やってはいけないことを察知していい子を演じるばかりの日々だった。いたずらもわがままも許されない。監獄のような世界だが、子どもにはそれが全てで絶対だった。
おかげで、何かに挑戦し失敗することに対して過剰な不安を抱くようになった。誰かに甘えることが怖くなった。いい子でいないと誰も認めてくれない、存在に意味がなくなる、と本気で思っていた。「○○さんちのお子さんはいい子ね」と褒められるのが快感だった。そこに居ていいと許可をもらった気分だった。まるで父という新興宗教の信徒だ。
大学受験の時に第一志望の大学に落ちてから、そういった不安がどうでも良くなって、失敗しても父は関係ないと思えるようになった。監獄から抜け出したことで、いろんなことに挑戦できたのだ。馬術部に入り、バイトをし、授業で発言する回数も増えた。父に怯えて行動の選択をする時代は終わったのだ。大学生活は、そこでの学びはもちろん、離家したことで得たものは計り知れない。自分の人生は自分の意志で進めていいのだと、本当に気付けた時代だった。