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成仏日記【4】父の人間性~否定~

 ここからは、回にわけて父の人間性で「毒」になったものを思い返していきたい。

 幼い私が最も傷付いたのは父がことあるごとに否定してくることである。テレビを見れば「そんなもの見るな。何が面白いんだ」と言うし、本を借りてくれば「またそれか」といった具合だ。人と会話するときに否定文から入る方法しか知らないのか、というレベルである。

 幼少期は特にそうだが、子どもにとって親というのは絶対で、自分の世界の大半を占める。その存在からなにもかも否定されては、小さな心はすぐに崩壊してしまう。私が父に肯定されたのは、五体満足で生まれてきたということだけである。

 そう言ったわけで、私は自分がいいと思ったお気に入りの何かを否定されるのが怖くて、父の前ではそういうことを見せなかったし、隠さなければならないものだと十代後半くらいまで思い込んでいた。好きな本やCDはこっそり買いに行って自室に宝物のように保管するようになった。これが好き、とか人の前で発表したり、グループ分けされたりするのが苦手なのもこのことが一因になっていると思う。

 一度だけ、父の前で好きなものを自分から発信したことがあるのだが、それがさらに拗らせるきっかけとなった。

 それは、私が中学生当時、父が宮崎に単身赴任していて、夏休みに遊びに行った時のことだ。

 ランタン祭りという食の祭典のようなものに行った時、場内でGARNET CROWの「夏の幻」が掛かっていることに気が付いた。おいしいものをたくさん食べて楽しい気分になっていた私は、父にそれを報告してしまったのだ。父はGARNET CROWを知らないが、自分の好きな曲がぴったりのイベントで掛かっていることを伝えようと思った。純粋な気持ちである。普通の親ならば「よかったね」とか「今度お父さんにもCD聞かせて」とか適当に言えるところを、私の父は無視したのである。

 酔っていたとか雑音で聞こえなかったとか、いろいろ推察は出来るが、あのときは確かに聞こえていた。それでもっての無視である。子どもが話しているのに無視とは一体どういう了見だろうか。私の父に対する扉が、また一つ閉じた瞬間であった。ちなみに、今でも夏の幻を聞く度に思い出すが、相変わらず大好きな曲だ。

 こうして振り返ると、私にとって好きなものとは楽しむものではなく、守るものだった。だからこそ、翻って重度のオタクというか職人気質になってしまったのだと、今は思う。

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