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20041006 明日の命
小学三年生の上の娘$${^{*1}}$$の同級生に歩行器や杖を使って学校生活をしている子がいる。先天性の病気で身体の成育が遅く、特に足がしっかり育っていない。そのため彼は入学当時からそういった状態で通学している。就学前は養護学校への入学を勧められていたそうだが、家族の嘆願によって今の小学校に入学した。
身体の成育が遅いだけではなく、娘によるとその病気によって彼はいつ命が尽きるか判らないそうである。彼本人はそういった状況をどう思っているのか知らない。毎日変わらず登校しているのだろう。運動会や授業参観に行けば彼を必ず見かける。
「明日をも知れない」という状況は、彼だけではなく自分を含め万人がそうである。今日は生きていたから明日も生きられる、という保証はどこにもない。そう考えれば、彼と自分との違いは何もない。それにも拘わらず、彼のことを「かわいそうだ」「よく頑張っている」などと思うのは全くもって不遜である。自分はもっと生きられるという優越感があるからそう思えるのだ。
彼の現状を初めて見たり聞いたりした時、最初にそう思ってしまっても仕方がない。しかしそう思い続けるのが不遜なのである。いつ死ぬ判らないのは自分も同じである。そんな観点から自分の生活を見つめ直し、自分の行動が価値のあることなのか限られた時間を無駄にしていないかをよく考えるべきだろう。
彼に対し、特段にそういった感情を抱くのは極めて愚かなことである。
※2021年10月現在。娘と同様に成人した彼をよく駅で見かける。電動式の車椅子に乗ってどこかに通勤しているようだ。体の大きさは小学校三年の頃とさほど変わっていない。
*1 20041005 マホガニー