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20060501 ウィキペディア(2)

 インターネット上の百科事典ウィキペディア$${^{*1}}$$が「goo辞書$${^{*2}}$$」で利用できるようになったことを知った。ウィキペディア$${^{*3}}$$は単なる百科事典ではなく、インターネットを利用した独特仕組みを持っている。つまり利用者の誰でもインターネットを使って編纂に自由に参加できるようになっている。

 ウィキペディアの存在を知ったのは今から三年ほど前$${^{*4}}$$だった。インターネットのリンク$${^{*5}}$$という仕組みを使えば、地球全体に散在する知識をまとめて一冊の百科事典ができる。百科事典でよく出てくる「~を参照せよ」というのは百科全書の登場によって作り出された$${^{*6}}$$。「~を参照せよ」をクリックするだけで参照先の文献が簡単に表示されるよう自動化したのがweb上のページにおける「リンク」という仕組みに他ならない。web上では泡沫のようにページが生まれたり消えたりする。リンク先は不安定なのである。これではリンク切れによって「~を参照せよ」がすぐに機能しなくなる。ウィキペディアのように文章を保存する場所を提供して自由に知識を書き込むようにすれば、リンク切れの心配はなくなるし、散在する膨大な知識を簡単に集約することができる。

 誰でも自由に編纂に参加できると言うことから、その内容の確度の保証するのが難しくなると思ってしまう。しかし多くの人が編纂に加わることにより誤謬を犯したり内容が偏る確率を低くできる、としている。そう言われれば、なるほどと思う。

 しかしこれは疑わしくなってきた。以前に「トランジスタを発明したのは日本人」説$${^{*7}}$$について書いたことがある。時代背景などを勘案すると日本人が最初にトランジスタを発明したという話は荒唐無稽な話だが、ウィキペディアにはこういった説もある$${^{*8}}$$として書かれていた。これを読んだ瞬間、編纂の自由参加機能が上手く働いていないと思った。多くの人々が関心を持つ項目に対しては、編纂に加わる人の数や回数が必然的に多くなるので誤謬の確率は減る。多くの人々に関心を持たれない項目はその逆で、一旦、間違った情報が書き込まれると訂正もされずに放置されることになる。書かれた情報については、その内容について責任を持つ義務を負う必要がないので更に間違った情報が掲載され続ける可能性が高くなる。

 多くの人が関心を持つ事柄は百科事典でなくても調べることができる。百科事典の利点は、何を頼りに調べればいいのか判らないような散在した知識が一所にまとめられて調べやすくなっている点だ。つまり少数の人々ための項目の集積が多くの人々にとっての有用となっているのである。この肝心な点でウィキペディアは心許ない状況になっている。

 そんな中途半端な百科事典と編集者が明確になっている辞書とを同列に扱っていいのだろうか。goo辞書は勇み足になっている。

*1 メインページ - Wikipedia
*2 フリー百科事典から検索する goo 辞書の使い方
*3 ウィキペディア - Wikipedia
*4 20030628 ウィキペディア
*5 20000713 リンク
*6 20020630 相互参照
*7 20050910 トランジスタの発明(2)
*8 内田秀男 - Wikipedia

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