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20090629 百姓読み

 漢字を本来とは違った読み方で読む場合がある。百姓読み$${^{*1}}$$、慣用音$${^{*2}}$$などと言われる。百姓読みとは如何にも侮蔑的な響きのある言い方だ。教養のない、読み方の知らない百姓が勝手に類推して読む、という意味だろう。もしかしたら「百姓」は農民を指すのではなく、百の姓(かばね)で庶民を意味する「ひゃくせい$${^{*3}}$$」かもしれない。だとすれば「ひゃくしょうよみ」は馬鹿にしているつもりで読み方が間違っているということになる。まさに間抜けの見本だ。

 百姓読みが定着すると慣用音になるのだろう。百姓読みのうちは、無教養だと馬鹿にされるが、慣用音となれば本来の読み方で読む方が変だと言われる場合が多くなる。文字や言葉は意思疎通の道具なので、使う人々によって使いやすい様に変化していく$${^{*4}}$$のは当然だろう。

 「消耗」「洗滌」「輸出入」などは本来「しょうこう」「せんでき」「しゅしゅつにゅう」と読むべきであるが、「しょうもう」「せんじょう」「ゆしゅつにゅう」の慣用音で読むのが普通である。「洗滌」は「洗浄」に書き換えられる。この場合は「せんじょう」という読み方が相応しい。「浄」は「清める」という意味なので、単に「洗う」だけの意味しかない「洗滌」を「洗浄」へ書き換えること自体が百姓的のような気もするが、読み方は「せんじょう」で正しい。これらの例は、学校では慣用音しか教えない。

 百姓読みは、どうなれば慣用音とされるのだろう。漢和辞典に「慣用音」と表記される様になれば、「慣用音」として認められたことになる。こうなるにはその読み方が出現してから数十年、百数十年は掛かるだろう。しかし読み方を間違えると言うことは教育の水準が下がることなので、政府の方針$${^{*5}}$$で、ものを考えない資本家が使いやすい労働力人口を増やすことでもしない限り、変な読み方は普及しない筈だから百姓読みはいつまで経っても百姓読みのままだろう。

 今後、呉音・漢音・唐音$${^{*6}}$$にない百姓読みが慣用音となる可能性はないとも言えないが、熟語の読み間違い、百姓でもそんな読み方をしない「超百姓読み」はどうなるであろう。例えば、最近は「雰囲気」を「ふいんき」と読む人がいるらしい。これは永久に辞書には掲載されない読み方と思いがちだが、熟字訓$${^{*7}}$$の「山茶花(さざんか)」は、元は「さんざか$${^{*8}}$$」 だったのがひっくり返って「さざんか」になって辞書にも掲載$${^{*9}}$$される様になった。「ふいんき」もそうなる可能性があるだろうか。そんな阿呆なことはないに決まっている。

*1 ひゃくしょう-よみ ?しやう? 0 【百姓読み】の意味 国語辞典 - goo辞書
*2 かんよう-おん くわん? 3 【慣用音】の意味 国語辞典 - goo辞書
*3 ひゃくせい 0 【百姓】の意味 国語辞典 - goo辞書
*4 20031006 言葉は生き物
*5 文部科学省ホームページ
*6 20060717 音訓錯綜
*7 20030319 治具
*8 サザンカ・山茶花 - 語源由来辞典
*9 さざんか 2 【 ▽ 山 ▽ 茶花】の意味 国語辞典 - goo辞書

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