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20021205 もしもしQさんQさんよ
邱 永漢(きゅう・えいかん)の「もしもしQさんQさんよ$${^{*1}}$$」をよく読んでいる。
もともとは「ほぼ日刊イトイ新聞$${^{*2}}$$」のコラムの一つだったが、今はURLが独立している。毎日、文章が更新されて、今日、1000回目の記事$${^{*3}}$$が掲載された。
1000回目なのにそのことについては記事中で全く触れていない。私は1000回目の時$${^{*4}}$$には、嬉しくなってそのことについて書いた。邱氏の場合、物書きが本職で、しかも直木賞$${^{*5}}$$まで取っているので、そんなコラムの連載回数などどうでもよいことだったのだろう。
と最初は思ったが、どうも違うような気がしてきた。邱氏はパソコンをいじったことがない、と糸井重里がどこかで書いていたのを思い出した。邱氏は執筆した文章をファクシミリで送り、それを誰かがコンピュータに入力しているようなのだ。
恐らくいろんな場所で書いて送っている筈なので、原稿にいちいち通し番号を付けるのはほぼ不可能であろう。つまり邱氏は、今書いている原稿が何回目なのかが分からないのではないだろうか。しかもインターネットを見ることもないので掲載された記事が何回目かも正確に把握できない。もしかしたら入力担当者から「もうすぐ1000回になる」ということは聞いていたかも知れない。
考えてみれば、宝くじの番号やアクセス数の切りのいい数などと同様に、数そのものには意味はないと言える。
*1 もしもしQさんQさんよ
*2 ほぼ日刊イトイ新聞
*3 第1000回 私なら外国に働きに行きます
*4 20020629 知りたいと思うこと
*5 20000427 直木