さよなら父。
もう半年ぐらい我が家はすっかり「リモート」です。
私は「リモート授業」。
父は「リモートワーク」。
母は「リモート趣味」。
そんなわけで、いつもは友人や後輩と一緒にしていた昼食も家族全員で取っているわけですが、意外と慣れてきたものです。
朝も昼も夕方も家族がいるというのは一見不思議なものですが、古来はこういう生活だったのかな、と数千年前にまで思いを馳せる余裕すら出てきました。
しかし、長く一緒にいると嫌なところも見えてしまうのが人間です。
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夕方、父は決まってリビングに来てテレビ(NHK)をつけ、そして母の作った料理を黙って食べます。食べ終わってもしばらく食器を片付けず、床に寝そべってテレビを観続けます。
これ自体はリモート前からよくある光景だったので、そこまで気にしていません。もっとも、「こんな親にはなりたくない」と密かに反面教師にしているわけですが。
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最近、食事が終わってもテレビを付けっぱなしにしていることが多いので、7時のニュースの後に「ダーウィンが来た」といった教養番組がそのまま流れることがあります。
すると決まって父は言うのです。
「こんな番組いらない。受信料の無駄。こんなのスタッフの旅行だよ。」
気持ちが全く分からないわけでもありません。確かにこの時期に南の美しい島の映像を見せられると、何となく羨ましく、そして妬ましく感じてしまうのかもしれません。単なる社員旅行、と捉えてしまう父を強く否定するのも難しいかもしれません。
ただ、私としては「一見自分には関係のないようなことが実はどこがで役に立つ」というのが学問の本質の一つであると思っています。私は専門ではありませんが、「進化経済学」なんてまさにそうです。生物学と経済学の融合ですよ。すごい発想です。
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とはいえ、父にそういう考えを諭しても無駄なのは経験上分かり切っている話です。私の父とは、そういう人なのです。
なので、「そんなに不快に感じるなら切ったらいいんじゃない」と促すと、高圧的な語調でこう返ってくるのです。
「オレは受信料を払っているんだ。観なきゃ受信料が無駄だろ。」
そういって結局テレビを消さずに観続けて、ロータリーエンジンよろしく番組に対してぐちぐちと文句を垂れ流すのです。私や母を不快にしていると知らずに。
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私の父は、自分が世界の中心だと本気で思っている人間です。
例えば「ダーウィンが来た」を楽しみに観ている人がいるなんて微塵も想像できない、そういう人間です。そのくせ「紅白歌合戦」は録画してまで観ます。大した自己矛盾です。
父は雑談すらできません。父は一人で旅行に行くことが多いのですが、土産話の一つも聞いたことがありません。食卓でもパソコンとケータイとテレビばっかり弄って、肝心の母の料理に対しての味の感想は二の次です。その癖、ごく稀に父が自分で作る料理は「ウマッ・・・ウマッ・・・」とぶつぶつ言いながら食べます。
自分さえ良ければそれでいい、という典型例が身内にいるというのは、何とも恥ずかしいものです。
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その数日後、ちょっとした口論になったときに父に言われた言葉は忘れがたいものです。
お前はオレに対してもっと感謝しろ。
口答えするな。
お前は大学院生、オレは働いている。
社会に出ているオレのほうがよっぽど偉いんだ。
この瞬間、私の父は目出度く「猛毒親」へと進化しました。同時に「他人」になりました。
そのショックたるや。
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口論から数週間経ちましたが、あれから一言も口を聞いていません。
かの男は「謝る」ことを知りません。人にぶつかっても、遅刻しても、酒で救急車に呼ばれて家族に迷惑をかけても、ただの一度も謝ることをしなかった、そういう男なのです。
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かつて所属していたサークルの後輩が「毎年お正月は家族全員で旅行に行くのが楽しみなんです」なんて話をしていたのを思い出しました。
その時は「そんな絵に描いたような家庭って実在するんだ」と思っていましたが、どうやら私の周りはそっちのほうが普通のようで、むしろ私の家庭のほうが悪い意味で「絵に描いたような家庭」だったようです。
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さよなら、父。
私はもうあの男を父として接することを辞めました。
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私の家では、泊りの家族旅行なんてもう10年以上していません。
私も自分で家庭を持つ機会があったら、あの男よりはいい家庭にしたいな。
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