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ちょっとだけ山にこもる。逆説的なぜいたく

十勝平野の北。家から車で1時間ほど走ると大雪山系に入る。妻と休みを合わせた2泊3日。大雪山国立公園は糠平温泉の、とある旅館に来ている。

日々の仕事の合間の骨休め。読んで字の如く、骨休めだ。冬の北海道の山の中の小さな旅館で、持ちこんだ本とお酒とともに、特に何の予定もない時間を過ごすだけなのだ。
このお宿は、なんていうか、仕事と趣味の間にあるようなお宿だ。元々あった旧い建物を、お宿の人好みに改修して、懐かしさと親しみと温かみのこもった小粋なお宿になっている。今回で3回目になるが、ヘタな高級ホテル・旅館よりよほどくつろげる。

運転疲れ(と言っても1時間程度だが)を癒しにお風呂に浸かり、十分すぎるくらいに温まって脱衣所に出る。火照った身体を冷ますために、パンツ一丁で木の椅子に腰掛けながらふと”ぜいたくだなぁ、、”と思う。
束の間の後に、”何がぜいたくなんだ?”と思う。別に、今の自分の周りやこの後の時間に、贅が沢山あるわけではないのだ。

風呂上がりに、食事をしながら妻が言った。「明日の予定は、、生きていることくらいかなぁ」
2泊3日で山の中の旅館にこもること以外に、何も決めていないのである。それでも、そう言う妻はとても嬉しそうだ。
妻は、この2泊3日で持ち込んだ本を読んで夜更かししたり、旅館の本を読んだり、畳の上で転がって空を見たり、お昼のテレビを見ながらまどろんだり、そんななんでもなくゆっくりした時間を心から楽しみにしているようだ。
そして、「自分が好きなことをするのがいいんだよ」と言う。そんな妻の何気ない一言に、”そうだよなぁ”と感心したりする。ちなみにそんな妻は今、読みかけの本を開いたまま寝落ちしている。

テレビをつければ、SNSを見れば、わかりやすく華やかで手頃な贅沢が溢れている。きっとたくさんの人が、そしてふとした時には自分たち自身も、人のそれをうらやんだり、なぞったりしようとする。
そんな世の中にあって、山の中にこもる今の自分たちには、”何にも埋められていない、急かされることも縛られることもない自由な時間”という贅が、沢山あることに気づく。それは贅沢という言葉より、豊かさという言葉の方がしっくりくる。
人は一人一人みんな違う。だから、感じる豊かさもみんな違うんだと思う。だから、自分の感じる豊かさは自分で慈しみたい。

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