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四国旅行記 Day3 香川・高知・時々徳島編

3日目の今日は、四国を一気に南下して高知を目指す。
香川・徳島・高知と、この旅唯一の3県縦断のスケジュールとなった。

早朝金毘羅アタック

琴平に来たのにこんぴらさんに行かない選択肢はない。
朝のうち参拝することにした。

金刀比羅宮ことひらぐうは、総本宮の神社である。
その起源は大物主神おおものぬしのかみを祀った琴平神社にさかのぼり、神仏習合の時代、金毘羅大権現と称する。そして1165年には保元の乱で讃岐に配流された崇徳天皇の合祀を行った。

江戸時代にはその信仰は庶民にも広まり、金毘羅参りは伊勢神宮へのお伊勢参りにつぐ憧れとなった。
明治時代の神仏分離令により、再び「琴平山金刀比羅宮」と改称し神道の神社となった後も、全国の金刀比羅神社の総本社として年間約400万人もの人が訪れる一大神社となっている。

まだ参道の店など一つも空いていない朝のうち、参拝へと向かう。
金刀比羅宮は象頭山の中腹に広がっているため、御本宮までは785段という長い階段を登っていく必要がある。

まだ朝食も食べていない身にはハードな運動だ。
途中途中の道標が現実を突きつける。

大門が見えてくる。
ようやく到着か、そう思ってもまだここは半分にも満たない。

まだまだ厳しい階段が続くのだ。

20分ほど登り続けてようやく御本宮へとたどり着く。

その創建は大化の改新以前とも言われる御本宮は幾度かの改築を経て、1878年に現在の建物となっている。
ようやく参拝にこぎつけ、財布を取り出す。

私は賽銭を取り出す際、財布の中身を見ずに手にとった硬貨をお供えすることにしている。
というのも以前、
たまたま手にとった硬貨が、その時自分に必要な賽銭だと思うんだよね
という友人の言葉に感化されたからだ。

その言葉を聞いた時、私は浅草寺にいた。
なるほどと思い、小銭入れを弄ると出てきたのは500円玉であった。
見なかったふりをしてそっと10円に持ち替えた。
その後引いたおみくじは「凶」だった。
因果応報だと思った。

今回は最初から10円だった。
おみくじは「小吉」だった。

前の広場からは讃岐平野が一望できた。
785段の石段は海抜251mの高さまで私を押上げていた。

左には讃岐富士も見える。
遠く江戸の時代、敬虔な庶民が一生に一度の旅の果てに辿り着いた光景だ。
私のように「丸亀製麺で毎日見てたやつだわ」などという有り難みのない感想を抱いてはいけない。

〆うどん

一運動終えたところで、いよいよ何かを開始する。
しかし香川県を後にする前に、やはりうどんを食しておかねば失礼に当たるというものだろう。
というわけで、うどんの食べ納めへと向かった。

やってきたのは山内うどんだ。
名は体を現すというが、その名の通り山というか森の中にあり、初見で道を間違えずにたどり着くのはほぼ不可能ではないかと思わせるような奥地にひっそりと佇んでいる。

店内も田舎の食堂か親戚の家といった出で立ちだ。

麺と出汁の温度の組み合わせが選べる。ひやあつをチョイスした。

朝からの石段登りで不満の声を上げる食欲を満足させるべく、げそ天・かしわ天をつけていただこう。

機械を使わず手打ちされたコシのある麺と出汁の優しい味わいがマッチし、〆にふさわしい一杯であった。
中途半端な時間に行ったからか、天ぷらはヒエヒエだったのが残念だが、ボリュームが有り食べごたえのある一品だ。出汁につけて熱を取り戻しながら頂いた。
小で一杯200円。天ぷらを2つつけても500円強で大満足のコスパである。

秘境の橋

南下すること1時間強。車は再び徳島県へと入った。
やってきたのは山間の秘境、祖谷渓いやけいである。

祖谷は四国山地の中にあり、源平合戦に破れた平家一族がその再興を願って土着した地域であると言われている。
近代まで外部との交通が隔絶されていたため、独自の文化が今に残された貴重な地である。

そんな地域を流れる祖谷川にかかるのが祖谷のかずら橋だ。

早速橋を渡りに向かう。
近代まで孤立していた秘境も今やPaypayが使えるまでに進化している。

いざ、渡り始めよう。

かずら橋はシラクチカズラと呼ばれる葛を編んで作られている。
一説には平家の落人が、追ってから逃れるために切り落とせるよう作ったとも言われており、今でも3年に1度当時の製法のまま架替が行われている。
金属等による補強など一切行われておらず、歩くたび隙間から覗く谷底と吊橋の揺れがスリルを与えてくれる。

下が見える橋といえば瑞巌寺のすかし橋や寸又峡の夢の吊り橋などがあるが、そのスリルにおいては、かづら橋に及ぶものはなく、吊り橋効果を体験するには絶好の場所と言えるだろう。

私が中腹を過ぎた頃、あとから来た男性がかづら橋を渡り始めたが、
幸いにして「おい揺らすんじゃねぇバカ」とは思えど、恋愛への誤認が起こることはなかった。

秘境の温泉

吊橋でかいた冷や汗を流すべく、温泉に立ち寄ることにした。
やってきたのはホテル祖谷温泉だ。

ここの温泉はまさに秘境の湯である。
フロントで受付を済ますと早速露天風呂へと向かう。

なんと温泉に行くには、ケーブルカーで谷底へと降りる必要があるのだ。
なお操作もセルフである。

約5分ほどで谷底へ。

祖谷温泉公式HPより
祖谷温泉公式HPより

そこには他の建物や道などはなく、渓谷に流れる川を眺めながらゆったりと露天風呂を楽しむことができる。
源泉かけ流しだという湯は、ぬるっとして硫黄臭がするTHE温泉という泉質であり、どれだけ浸かってものぼせることはないだろうという温さで長く楽しめる。

日帰り入浴でもまぁまぁ良いお値段なので、元をとらんとばかりに長湯を楽しんだ。

南海の名城

秘境に別れを告げ、更に1時間半ほど南下するとついに本日の目的地、高知市内へとたどり着く。

高知を代表する偉人といえば、まず思いつくのは言わずもがな坂本龍馬である。

また、アンパンマンの作者やなせたかしも高知県を代表する著名人である。

更に歴史をさかのぼり、土佐藩の初代藩主としてその歴史に名を刻むのが山内一豊である。
まずはそんな偉人の築いた城へと足を伸ばした。

高知城は1601年、関ヶ原の戦いののち土佐藩主として入国した山内一豊が築城を開始した城郭である。
1727年に一度消失しているもののその後再建され、日本の現存十二天守で唯一、天守閣を含めた本丸建築のすべてが現存する貴重な城でもある。

三層六階の天守からは高知市内を一望することができる。

そんな歴史ある高知城が、夜になるとまた異なる姿を見せていた。

デジタルアートイベントによって、小道は光で彩られ、

プロジェクションマッピングによって天守には花が咲き乱れていた。

その他、体験型アートの展示が随所で行われていたのだが、
見学の最中ふと頭をもたげた「デザインとは?アートとは?」という問いが頭から離れず、ずっとそのことについて考えながら見て回っていたのであまり写真が残っていない。

高知の台所

夕食はやはり高知の名物をいただきたいところだ。
食事処に選んだのは、高知城にほど近いひろめ市場である。

名物料理や土産物店など70もの店が並ぶ屋内市場では、高知の様々な名物がいただける。屋台村形式になっているので、様々な店の商品を色々選べるのも嬉しいところだ。

観光客だけでなく地元民も御用達の市場のようで、平日にも関わらず大いに賑わっていた。

高知に来て外せないグルメと言えばやはり鰹のタタキだろう。
塩とタレ両方でいただく。

分厚くカットされた鰹は満足感が違う。
塩とタレ交互に食べていけばいくらでも食べられてしまいそうだ。
同じく高知の名物だというウツボの唐揚げも酒の進む味であった。

飲みたりなかったので、店を移して海の幸をいただく。

祝杯を上げたことになっているのだが、何を祝う祝杯だったのかはもはや思い出せない。
旅も折り返し地点を迎え、疲れも溜まっていたのだろうか。
ホテルに戻ると、もはやそこから部屋飲みすることもなく早々に風呂に入って床についたのであった。


最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は高知をグルっと回って愛媛を目指します。

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