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漫画名言の哲学5 超人への瞬間 ―ポップの閃光とニーチェ的転回

私の愛読書の一つ、『ダイの大冒険』。ドラゴンクエストの世界観を下敷きにしながら、独自の深い物語世界を築き上げた王道ファンタジー漫画だ。その中でも特に印象的なのは、魔法使いのポップの存在である。

主人公ダイや、闇の戦士ヒュンケルのような特別な存在たちの中で、ポップはその名の通り、どこにでもいるような一般人として物語に登場する。臆病で弱い少年は、しかし仲間との冒険を通じて、確かな成長を遂げていく。それは、読者の心に強く響く共感の物語でもあった。


「閃光のように…!!」

物語も終盤、ダイとポップは真・大魔王バーンとの決戦に臨んでいた。しかし、バーンの放った最後の一撃により、世界は破滅の危機に瀕する。絶望の淵に立たされた時、ポップは幼い頃の母の言葉を思い出す。

「人間は誰でもいつかは死ぬ。だから...みんな一生懸命生きるのよ」

ポップは大魔王に向かって叫ぶ。

残りの人生が50年だって、5分だって、同じ事だ!!!
一瞬...!! だけど...
閃光のように...!!
まぶしく燃えて生き抜いてやる!!!
それがおれたち人間の生き方だっ!!!

三条陸/稲田浩司「ダイの大冒険」


ニーチェの、「超人」

この瞬間こそ、ニーチェが語る「超人」への転回の瞬間と読むことができる。死すべき運命という重圧の前で、ほとんどの人間は「最後の人間」として、安楽な諦めを選ぶだろう。しかしポップは違った。

有限性を受け入れながらも、それを逆説的な力に転換する。「50年も5分も同じ」という驚くべき言葉は、ニーチェの「永遠回帰」の思想と響き合う。それは与えられた時間の量ではなく、その生の質こそが重要だという洞察だ。

「閃光のように」という比喩は、まさに超人的生の形を表現している。それは「このように生きよ」というニーチェの命法の、現代的な翻訳とも言える。刹那の輝きこそが永遠の価値を持つという逆説。弱き人間が、自らの限界を超えて輝く瞬間。


ポップは教えてくれた。我々も超人になれる。

ニーチェの「超人」は、しばしば誤解される。それは特別な存在として生まれついた者だけのものではない。むしろ、それは自らの限界に向き合い、それを超えていく決断の中にこそ宿るものなのだ。

ポップこそ、その最も美しい体現者と言えるだろう。彼は特別な血統を持つダイでも、闇の戦士ヒュンケルでもない。ごく普通の、弱さも臆病さも抱えた少年だ。しかし、まさにその「普通」の中から、彼は超人的な瞬間を生み出した。

「閃光のように」という言葉は、私たち読者への希望でもある。誰もが、自らの日常の中で超人となる可能性を持っている。それは必ずしも壮大な戦いの中でなくとも良い。日々の小さな決断の中で、私たちは自らの限界を超えていく瞬間を見出すことができる。

ポップが教えてくれたのは、超人とは到達点ではなく、むしろ瞬間的な閃光のような輝きなのだということ。その輝きは、確かに一瞬かもしれない。しかし、その一瞬こそが、永遠の価値を持つのだ。

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