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哲学格闘伝説6 ヘーゲルvsショーペンハウアー

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闘技場に満ちた静寂が、パイプオルガンの荘厳な響きによって破られる。


選手入場

「ご来場の皆様、お待たせいたしました」実況の声が轟く。「理性の光と盲目の意志、因縁の対決の幕開けです」

場内が暗転し、スポットライトが舞台を照らし出す。

「赤コーナー!」パイプオルガンの音が高らかに響き渡る。

「理性の必然的発展を説き、精神の弁証法を極めし者!」「ベルリン大学の絶対者、体系の完成者にして学長!」「ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーーーーゲル!」

黒の礼服に身を包んだ堂々たる体躯の男が、ゆっくりと歩み出る。その周りでは、理性の光が螺旋を描きながら立ち昇っていた。

「青コーナー!」突如、闇が濃く染まり始める。

「世界の深淵を見据え、盲目的意志の真理を説きし者!」「フランクフルトの隠者、否定の哲学の体現者!」「アルトゥル・ショーーーペンハウアーーーー!」

銀髪の男が静かに姿を現す。プードル犬を連れ、灰色の外套を纏っている。その周りには、漆黒の意志の波動が渦巻いていた。

二人の視線が交差する瞬間、空気が凍りつく。かつてベルリン大学で交わした確執が、今、新たな形で蘇ろうとしていた───


対峙

重苦しい静寂が場内を支配する中、二人の哲学者が向かい合っていた。

「やはり来たか」ヘーゲルが高みから見下ろすような視線を向ける。「かつて私の講義と同じ時間に授業を開いた男よ」

「ふん」ショーペンハウアーが薄く笑う。「満員の大講堂で語る大物教授には、誰も来ない私の教室が目障りだったか」

「目障りなどと」ヘーゲルの周りで理性の光が明滅する。「全ては必然的な発展の過程だ。対立を包み込んでより高みへと至る...お前の否定的な思想もまた、止揚される運命にある」

「相変わらずだな」ショーペンハウアーの表情が皮肉めいた笑みを浮かべる。「その傲慢な体系で、世界の全てが理解できると」

「お前にはまだ分からんのか」ヘーゲルの声が響く。「理性こそが、世界を動かす原理なのだ」

「面白い」ショーペンハウアーの周りで闇が渦巻き始める。「その体系の底が、どれほど脆いものか...今日、教えてやろう」


試合開始

ゴングが鳴り響く。

「概念・弁証拳!」ヘーゲルの拳から放たれる光が、三段階の螺旋を描いて迫る。対立を包み込みながら、より高みを目指す光の奔流。

「ほう」ショーペンハウアーが身をかわす。その動きは意志の流れそのものだ。「確かに美しい光だ。だが───」冷笑を浮かべる。「盲目意志・暗黒波」

漆黒の波動が放たれ、しかしヘーゲルの前で霧散する。

「その程度か」ヘーゲルが高らかに宣言する。「世界の発展を、その目で見るがいい。精神現象・段階撃!」

理性の光が階段状に上昇しながら、渦を巻いて襲いかかる。ショーペンハウアーの体が、直撃を受けて吹き飛ぶ。

「見たか」ヘーゲルの口元に、勝ち誇った笑みが浮かぶ。「全ては段階を追って、より高次の真理へと至る」

「ほう?」倒れたはずのショーペンハウアーが、静かに立ち上がる。「確かに、見事な体系だ」

「何?」

「だが」老哲学者の目が鋭く光る。「私が倒れたのも、君が勝ち誇ったのも、所詮は表面的な現れにすぎない」

「まさか...!」

ヘーゲルの周りで光が乱れ始める。「意志と表象の波動」という名の闇が、静かに、しかし確実に、彼の体系の根底に忍び寄っていた───

「面白い」ヘーゲルの体から、より強い光が立ち昇る。「その"表面的な現れ"とやらを、私の理性で照らし出してみせよう」

轟音と共に、光輪が展開する。「理性光・発展波!」

光の輪が三重に重なり、否定を重ねながらより高次の段階へと上昇していく。

「ほう」老哲学者は微動だにせず、薄く笑みを浮かべる。「矛盾を超えて進もうというのか。だが...」

一瞬の閃光。理性の光が、まるで闇に飲み込まれるように消えていく。

「何!?私の理性が...」

「覗いたことがあるか?」ショーペンハウアーの声が響く。「理性では決して到達できない、世界の底なしの深淵を」

「黙れ!」焦りを隠せないヘーゲルが畳みかける。「絶対精神・展開!」「概念・現実化!」

次々と繰り出される光の技が、しかしショーペンハウアーの前で霧散していく。その度に、理性の輝きが少しずつ歪んでいく。

「まさか...全ての技が...」ヘーゲルの表情が曇る。

「そろそろ本気を見せ合おうか」ショーペンハウアーの周りで、漆黒の波動が渦巻き始める。「世界の真の姿を」


奥義の激突

大地が震え、空が割れる。

「見よ!」ヘーゲルの体から螺旋状の光が立ち昇る。「理性による世界の完全な把握を!」

【精神が自己を知る道程よ
否定を経て否定を否定し
今こそ示せ、絶対知の境地を!】
「精神現象・弁証展開!」

幾重もの光の層が、より高次の段階へと上昇していく。対立を包み込みながら、世界の真理が光となって顕現する。

「素晴らしい」ショーペンハウアーが静かに目を閉じる。「だが、私もまた...」

漆黒の闇が、彼の周りで渦巻き始める。

【世界の根底なる盲目の意志よ
苦悩の連鎖を見抜き超えて
今こそ示せ、解脱の境地を!】
「意志否定・涅槃解放!」

黒い光が凝縮し、解放される。悟りの光が、ヘーゲルの理性の輝きとぶつかり合う。

「これこそが...!」
「真理の...!」

閃光が闘技場を包み込む。しかし、その瞬間。

「見事な体系だ」ショーペンハウアーの声が響く。「だが、気付いているのか?」

「何?」

「私の奥義も、君の奥義も、結局は...」老哲学者の目が鋭く光る。「表面的な現れにすぎない。世界の根底には、もっと深い何かが渦巻いている」


決着

「戯言だ」ヘーゲルが虚空に向かって右手を掲げる。「全ての対立は、より高次の真理の中に包み込まれる」

轟音と共に、時空が歪み始める。

【理性の極致たる弁証法の力よ
対立を包含し高みへと至る
より高次の真理を目指して
全ての矛盾を統合せよ
否定の否定を超えて
今こそ示せ、絶対精神の到達点を!】
「究極奥義・アウフヘーベン!」

まばゆい光が闘技場を包み込む。全ての対立が止揚され、より高次の真理へと昇華されていく。

「どうだ!これこそが───」

だが。

「ついに出したか」ショーペンハウアーが静かに目を開く。「待っていたぞ、その瞬間を」

「何?」

「気付かなかったのか」老哲学者の周りで、深い闇が蠢き始める。「私の全ての動き、全ての技...そしてさっきの奥義すらも、この瞬間のための布石だった」

閃光と共に、ヘーゲルの放った光が歪み始める。

「貴様の言う"止揚"も"統合"も、結局は理性の表面的な働き」闇の波動が、理性の光を飲み込んでいく。「世界の根底には、理性では決して到達できない深淵が広がっているのだ」

「な、何だと!?」ヘーゲルの体から青白い光が漏れ出す。「私の体系が...理性の光が...!」

「見るがいい」ショーペンハウアーが右手を翳す。「理性の向こうに広がる、この深淵を」

「ぐあああぁぁっ!」

光輪が砕け散り、螺旋状の光が粉々になっていく。理性の体系が、まるでガラスの城のように崩れ落ちる。

「馬鹿な...私の...完璧な体系が...!」

ヘーゲルの体が、激しく後ろに弾き飛ばされる。大講堂での講義、弁証法、止揚...彼の築き上げた全てが、深淵の前で虚しく崩れ去っていく。

「はあ...はあ...」血を流しながら、彼は静かに顔を上げる。「認めよう。私の体系は確かに表層の真理だった」血まみれのヘーゲルが、よろめきながら立ち上がる。

「私の...体系は...」その言葉に、かつての傲慢さはない。

「ようやく見えたか」ショーペンハウアーが静かに歩み寄る。「理性では説明できない、あの深淵が」

「ああ」ヘーゲルは微かに笑う。「私は理性の光で全てを照らし出そうとした。だが、その光が届かない闇があったとは...」

「だからといって、お前の体系が無意味だったわけではない」老哲学者の声に、かつての皮肉めいた調子はない。「あれほど美しく壮大な理性の光を放った者は、他にはいなかった」

「ショーペンハウアー...」

「理性の光は確かに表層しか照らせない。だが───」彼は夜空を見上げる。「その光があってこそ、深淵の存在も見えてくる」

実況「決着!勝者、ショーペンハウアー!」

かつての宿敵は、真理の異なる側面を見つめる者として、静かに頷き合った───


闘技場のモニターに映し出される映像。

雨の降り注ぐウィーンの診療室。革の長椅子に横たわる患者。その傍らで煙草を燻らす男の姿。

「人間の心の奥底には」男が煙を吐きながら語る。「常に抑圧された欲望が渦巻いている」
立ち上がり、窓際に佇む。「表層の静けさなど、所詮は假面に過ぎない」

木漏れ日の差し込む静かな庭園。果樹の下でリンゴを手にする男。
「人は何故、これほどまでに苦しむのだろう」男が穏やかに問いかける。

彼はリンゴを一口かじる。「シンプルに生きればいい。喉が渇けば水を飲み、空腹なら食べる」「それ以上でも、それ以下でもない」

二つのインタビューが交差する。
「無意識の闇を暴かねば」
「シンプルに生きることが答えさ」




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