哲学格闘伝説最終回 敗者たちの物語
闘技場の外れにある古い円形劇場。月光の下、一人の男が石段に腰を下ろしている。空には、第一ラウンドの結果が映し出されていた。
第一ラウンド試合結果
第一幕
「まさか、イデアの光が...実存の闇に打ち消されるとは」
プラトンは静かに夜空を見上げる。その表情には、敗北の悔しさよりも、何か新たな真実を見出した者の深い思索が宿っていた。
「そうか...永遠の相の下にあっても、一つ一つの魂は、その瞬間を生きているのだ」
「その通りです」
声に振り向くと、キルケゴールが立っていた。
「プラトンよ、私もまた敗れました。永遠の反復に、私の跳躍は届かなかった」
「ほう、そなたもか」プラトンが微笑む。「永遠を求めた者と、瞬間を生きた者...我らは似て非なる道を歩んでいたのかもしれぬ」
「しかし」キルケゴールも石段に腰を下ろす。「私にはわかります。あなたの求めた永遠の真理が、いかに美しかったか」
月光が二人を静かに照らす。
「私の『イデア』も」プラトンが言う。「そなたの『跳躍』も。共に真理の異なる表現だったのかもしれぬ」
「ニーチェとサルトル...」キルケゴールが呟く。「彼らは、私たちの追い求めたものを、別の形で掴んだのです」
その時、新たな足音が響く。
第二幕
「因果の必然も、理性の確実性も、全ては経験の束に過ぎないと説いた私も」薄暗がりからヒュームが姿を現す。「デカルトの『我思う』の前では、その主張さえ宙吊りに」
「存在の必然性を説いた私も」スピノザが静かに加わる。「パスカルの賭けの前では、その論理を貫けなかった」
「面白い集まりですね」レヴィ=ストロースが、フィールドノートを手に現れる。「私たちの敗北にも、きっと構造がある」
「構造?」ヒュームが苦笑する。「そなたは今でもそう考えるのか」
「ええ」レヴィ=ストロースは石段に腰を下ろす。「勝者と敗者、理性と感性、東洋と西洋...全ては対立の体系の中で意味を持つ」
「しかし」スピノザが静かに告げる。「その構造すらも、より深い必然の中に...」
「だからこそ面白い」
振り向くと、そこには道元の姿があった。ユングも共に。
第三幕
「只管打坐」道元は静かに目を閉じる。「勝負に執着することもまた、一つの迷いではないか」
「興味深い」ユングが瞑想するように語り始める。「私たちの集合的無意識の中で、この敗北という経験がどのような元型と...」
「またそうやって分析するのですか」キルケゴールが微かに笑う。「実存的な経験を、概念で捉えようとして」
「違いますよ」ユングは柔和な表情を浮かべる。「この敗北という経験自体が、私たちに何かを教えてくれている。英雄の物語には必ず挫折があり、そこから再生が...」
「再生?」ライプニッツが姿を現す。「私の予定調和では、この敗北も既に織り込み済みだったということか」
第四幕
「断片化され、脱構築され」暗がりからラカンが現れる。「象徴界の中で宙吊りにされる」
「権力の構造の中で」フーコーも加わる。「主体が消失していく」
「違う」道元が静かに目を開く。「生死一如。負けることも、勝つことも」
「私たちが見ているものは」レヴィ=ストロースが言う。「単なる表層の構造に過ぎないのかもしれない」
「あるいは」ユングが付け加える。「深層の、より普遍的な...」
第五幕
エピクロスが葡萄を口にしながら現れる。「私は試合を楽しむことにしました。それもまた快楽の一つ」
「お前らしい」アウグスティヌスが苦笑する。「私は敗北の中に、神の導きを見た。親鸞の『南無阿弥陀仏』には、確かに救いの光が」
「みなさん」突如、ジェンティーレが割って入ろうとする。
「黙っておれ」複数の声が同時に上がる。
「私が言いたいのは...」
「お前の全体主義的な...」
「しかし...」
誰からともなく失笑が漏れる。敗者たちの間に、不思議な連帯が生まれていた。
第六幕
「見よ」プラトンが突如、天を仰ぐ。
円形劇場の上空に、金色の文字が浮かび上がり始める。まるで神の声が文字となったかのように───
「これは...」キルケゴールの目が輝く。「ニーチェとサルトル。超人思想と実存的自由。私たちが敗れたからこそ実現した対決か」
「デカルトと親鸞」スピノザが静かに告げる。「理性の極みと、他力の道。まさか、このような組み合わせが」
「そして」道元が目を開く。「ハイデガーとフッサール。弟子と師の対決。存在の真理と、意識の本質が...」
「パスカルと孔子」ヒュームが不思議そうに首を傾げる。「賭けと礼...まるで偶然と必然の対決のようだ」
「アーレントとデリダ」ラカンが口を開く。「現代思想の頂点に立つ二人が」
「ウィトゲンシュタインとベーコン」フーコーが付け加える。「言語の限界と、経験の力。これは認識の在り方を巡る戦いになる」
「マキャベリとフロイトか」レヴィ=ストロースがフィールドノートを閉じる。「権力と無意識。人間の深層を照らし出す戦いだ」
「そして最後に」プラトンが立ち上がる。「アリストテレスとショーペンハウアー。形而上学と意志の哲学。私の愛弟子と...」
一同、金色の文字が消えていく夜空を見上げる。
「我々敗者にも」キルケゴールが静かに告げる。「為すべきことがある」
「ああ」プラトンが頷く。「彼らの戦いを見守り、真理の新たな光を」
月が静かに輝きを増す。第二ラウンド、開幕の時が近づいていた。
続・哲学格闘伝説、開幕!