子どもがうるさすぎて
長女が帰ってくる前に電話を入れてきた。
「朝から鼻水が止まらんし、今日はまたプール行かれへんと思う。」
そうか。まぁ、それは仕方ないよね。
コロナの新規感染者が6万人を超えた、ドイツの地図も真っ黒な地域が増えて一部はとうとう白くなった。そんな話をしたら、こう言われた。
「コロナのことばっかり書いてたら、読んだ人が鬱になんで。」
そうなのか。そうかもしれない。書いている本人もニュースの追いすぎで疲れているくらいだからな。
そして娘は続けてこう言ったのである。
「でも、ママは鬱にはならんやろ。子どもがうるさすぎて。」
子どもが、って自分もそこに含まれているのに、また言ってる。どうも娘の中で「子どもがうるさすぎる」というのがキーワードみたいになっているらしい。
「確かに。うるさすぎて鬱になっている暇がないのは確かかも。」
子どもは確かにうるさいが、それで気が紛れる、ということが多々あることは間違いない。だらだら生活したくても、毎朝6時半に起きなくてはいけないし、ご飯も決まった時間に用意しておかないと大変なことになる。
「ママー、今日のご飯なに?」「なんでまだ作ってないの?」「ご飯何時くらい?」
矢継ぎ早にご飯警察が質問を投げつけることは目に見えている。質問から目を逸らすことはできないし、相手の注意を別の問題に向けることはほぼ不可能である。現実は厳しいのだ。
「まぁでも、ママの場合はひとりでも鬱にならへんやろな。」
この子どもの妙な自信は一体どこからやってくるのだろう。わけを尋ねると、「だってそんな暇ないやろ?」という返事。
鬱になる暇がない、とは何事だ。鬱って間違いなく忙しくても暇でもお構いなしになる状態だと思うんだけど。
ま、いいか。
とにかく、世間を騒がすいわゆる「緊急速報」はコロナ一色だし、コロナに関する情報に朗報のカケラもないのがドイツの現状なのでセロトニンを放出するために500mでもいいから走るようにして、すぐに真っ暗になるドイツの冬を乗り切ろうとは思っている。
太陽の降り注ぐビーチでゴロゴロしていればいいんじゃないのか。
そんなことを思わないでもないが、現実的ではないので諦めつつ今日はもう混んでいるであろうスーパーにわざわざ足を運ぶのは控えよう、そんな消極的な木曜日の夕方なのだった。
Manu Chaoでも聴いてリラックス。
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