留学生歓迎会とベルリンの文化的状況
先日、日本から交換留学で来ているもうひとりの留学生のホストファミリーと老舗のドイツレストランで夕飯を食べた。先方の母親の真向かいに座ったのだが、それはもういろんな話ができた。
ベルリンの文化施設で8年ほど働いている人だけあって、昨今のベルリン市やカルチャーシーンでのいざこざについて現場目線での意見が聞けたのが興味深かった。
例えば最近、オープニングを迎えた展覧会には親パレスチナのアーティストが参加していたそうだが、ベルリン市の助成を受けている展覧会場が公式声明を出さないことに憤慨し、展覧会を辞退したというのだ。
展覧会の初日も異例のセキュリティー対応が初めて敷かれたのだとか。「アートやアーティストが『政治』をテーマにすることについては何も異論がないんですよ。ただ、ベルリン市から助成を受けているからといって、積極的に政治的立場についての声明を出すべきだという外部からの圧力がひどいのにはさすがに驚きを隠せないし、うんざりしてしまって。ここのところ業務のほとんどがその対策に追われている状況で」
中でもStrike Germanyという組織が非常に偏った考え方なのだと教えてくれた。「問題なのは対話の機会をことごとく潰されるという傾向にあると思う」。彼女の言うように、フンボルト大学でも学生からの野次でイスラエルから招待されたスピーカーがそれ以上発言できなくなったり、ハンブルガーバーンホーフ現代美術館でもリーディング・パフォーマンスが活動家によるヘイトスピーチなどにより妨害を受け、中断そして中止を余儀なくされている。
ベルリン映画祭でも、イスラエル人のエイブラハム氏とパレスチナ人のバセル・アドラ氏は、共同で監督を務めた映画「No Other Land(原題)」で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したが、2人の受賞スピーチがベルリン市長や駐独イスラエル大使などから反ユダヤ主義との批判を受けたばかりである。
ここのところ、ベルリンの様々なカルチャーシーンで前代未聞の衝突が数多く起きているように見受けられる。ベルリン映画祭が政治的でなかったことはもちろんない。ただ、受賞スピーチに対して政治家がこのような一方的な批判をした記憶がこれまでにないような気がするのだ。
どちらかといえばオフシアター的なSophiensaalでも似たようなことがあったというし、このままいくとまるでマイルドな「言語統制」のようになってしまうのではという危惧すらある。90年代の前衛的でどちらかといえば反政府的なベルリンの「自由な」カルチャーシーンは跡形もなく消滅してしまうのだろうか。もしそうであるならベルリンの良さをどこに探せばいいのだろう。
留学生を交えた食事会に予期せぬ話題に触れることになったが、この件についてはまた彼女にじっくりと意見を聞いてみたいところである。本ブログの方にもいずれ記事を引用して詳しくまとめてみようと考えている。
タイトル写真は©Hamburger Bahnhofより