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自由とは何か

自由とは何か。

そんなことを初めて意識したのは恐らく中高時代だと思う。

六年一貫教育で中学受験はなし。小学校5、6年生の時に親友が通いだしたのを理由に塾通いを初め、講師の薦めで受験をしたら合格した学校だ。ただ単にくじ運が良かったのだろう。一次試験がくじ引きだったのだから。よく考えるとかなりふざけた受験システムだ。

その学校は今から思えば左寄りの先生が多い自由な校風で、国語の先生などしょっちゅう「文部省指定の教科書はしょーもないからプリント作った。」とか言って難解すぎる文章を読ませたり、詩を読んで絵を描くというのがテスト問題だったりした。26歳くらいで異様に達筆の変わり者。

学年毎に生徒達のカラーが大きく異なることがあるが、私たちの学年はいわゆる「問題児」が多かったらしい。一つ上の先輩達はまともな感じで、そのもう一つ上の先輩達の中には天才肌が何人かいた。学園祭の演劇などすでに大学生顔負けのクオリティーだったんじゃないだろうか。

そんな比較的自由な校風で奈良公園の側という立地から、バスケットの朝練に行くと霧の中から鹿がぼーっと輪郭を露に登場する、なんていう風情溢れる学校生活であった。これはまぁ、いささか美化し過ぎだけれど。

生徒会と教員会のやり取りなども活発で、誰が言い出したのか「制服は必要ないから廃止しよう!」という議論が持ち上がったことがある。

教員会というか担任の教師や例の国語の先生たちは、「お前らがきちんと廃止の理由を考えて、それで教師を納得させることができるんだったら考えてもいい。」と言っていた。「好きにするのはいいが、責任はちゃんと取れ。」というのも事あるごとに聞かされた言葉だ。

ある意味、至極民主的な校風だったのだろう。

学級会から生徒会へ意見が回され、生徒会と教員会とで何度も話し合いが行われた結果、教員会が納得。制服は廃止され、高校の途中から私服で通えることになった。

あの学校に行けて良かったのは、きちんと発言し、議論をすればルールは変えられる、ということを体験出来たことだったのではないかと思う。無駄な校則なども廃止に追い込んだ。

そんなある意味幸せな六年間が過ぎ、大学に入学して愕然とした。

六年間好き放題やり過ぎたせいなのだろう。サークルや飲み会、大学のつまらない講義にさっぱり興味が持てなかったのだ。

最悪だったのは右へ習えの就職活動である。

やる気も興味も全く起きず、大学3回生の時に足を伸ばしたベルリンに行くことばかりを考えていた頃だ。

ことあるごとに、どうしてスーツを着ていないのか、と同級生に尋ねられた。卒業したらすぐにベルリンへ行くので、と答えるとそこで話が終わってしまった。

自分で選択した自由には責任が伴う。そんなところだ。





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