『ツバキ文具店』と待合室
風邪もなんとか小康状態。相方も峠は越えたらしい。息子もサッカーのトレーニングに参戦。娘は友人たちと学校が終わってから会っているらしくまだ帰ってこない。徐々に平常運転になりつつある。
施術後の産婦人科検診も問題なし。何度か陽性になっていた検査も問題なし。ひとりでになくなることもあるらしい。体って不思議。予約なしで行かざるを得なくて2時間以上待たされたが結果オーライである。
その2時間で『ツバキ文具店』をかなり読み進めることができた。こういう強制的に数時間待たなければいけないような状況にならなければなかなか読書にも集中できないので不幸中の幸いだった。
なんだろう。この文章を読んだときに日本の夏の海の情景がパァッと目の前に広がった気がした。本を読む、というのが素晴らしいのはこういう瞬間に出会えることがあるからだ。
あぁ、もう別に大したことは望まないからこういう子どものころの記憶の残っている日本の風景に囲まれて過ごしたい。つくづくそんなふうに思った。ベルリンの産婦人科医の待合室で、だ。
斜め前には全身ピンク色で固めたアラブ系と思われる恰幅のいい母親とその娘(やはりピンク系のワンピース)、母親の母だと思われるこれまた薄いピンク色のヒジャブを巻いた女性が座っていた。私の隣には唯一ピンク色ではない服を着た男の子がちょこんと座り、携帯ゲームで遊んでいる。
鎌倉の夏など、こんなところにいると全くピンと来ない。ただ、集中して文字を追っているとパァッと情景が頭の中に広がるのだから大したものだ。本の中の人物の人生をわずかな時間なぞれるわけだ。どこで何をしていても。
ネットサーフィンをしていてもなかなかこんな瞬間は得られない。ネットはどちらかといえば逆に想像力を減退させてしまうのではないかと思うくらい、ワクワクするような体験はできないのではないだろうか。それよりも必要でないデータの波に飲まれてしまう感覚がある。
これ、この情報は今の私に本当に必要?
そんなふうにすら思えてくる。その点、本を読む、という行為は自分のペースで本だけに向き合える貴重な時間なのかもしれない。
2時間も待ちたくはなかったがずっと読もうと思っていた本を読み進めることができて本当によかった。そろそろメンテナンスも終わりに近づきつつある。来月はどんな月になるのかな。
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