千駄木周辺を歩く
「谷中にある本屋さんが気になってるんだけど、最寄駅は千駄木だったかな」
年に一度会うようになった横浜の友人はそんなことを言った。千駄木?谷中?東京をよく知らない私には馴染みのない土地名である。
彼女に会うのが目的なので場所には特にこだわりがない。「じゃあ、そこで」と即答した。実は9月に一度会うはずだったのだが、その日の天気予報が大荒れだったので延期した、という経緯がある。2度目の正直で千駄木に向かったわけだ。
Google翻訳もそうだがGoogleマップも実はそれほど信用できない。特に乗り換え情報については日本のサイトに頼った方が確実である。たまたまその日はGoogleマップで検索をかけたらバスで途中まで行け、という指示が出た。指示された通りのバス停で待っていると時間が来てもバスがやってこない。おかしいな、と時刻表を見ると全く違う時間の上、どうやら行き先も怪しい。と、そこへバスが停車したので運転手さんに「綾野へ行きますか?」と尋ねてみる。するとその運転手さんは「このバス停と同じ名前のバス停がその先の信号を左に行ったところにあるんですよ。そこから綾野行きが出ています」とこれまた非常に親切に教えてくれた。
走ればまだ間に合うかな。バス停に着いて反対車線を見ると乗りたかったバスが出たところだった。さすがに土地勘がないとどちら側のバス停が正解なのかすぐにはわからない。残念。早めに出ておいてよかった。道路の反対側に移動してバスを待つ。バス停には高齢の女性がひとり待っていた。
来たバスに乗ろうとしたら「お先にどうぞ」と声を掛けられたがそういうわけにもいかないので先に乗っていただく。下町を走るバスに乗り込むと乗客の多くは高齢者だった。イトーヨーカ堂の前で何人かが降りていった。運転手さんも乗客も何も言わずにみんながゆっくりと下車するのを待っている。
これがベルリンであればこうはいかないだろう、なんとなくそんな気がした。バスの運転手も最近は殺気だっていることが多いからだ。というかここのところ、街中にイライラしている人が多すぎる。コロナ禍に続き、ロシアのウクライナ侵攻以降、その傾向はますます強まりつつある。イスラエルやパレスチナなど中東のことも気掛かりである。何かと心が休まらない。
さて、バスと電車を乗り継いで千駄木に到着。大阪でいえば中崎町のような雰囲気の街である。駅前の地図を見ると一本だけやたらとくねくねした道があったのでそこへ向かうことにした。その名もへび道。
道を歩いているとカフェがあったりこじんまりとしたお店があったり。外国人観光客もちらほら見かける。どうやら根津神社とやらが近くにあるらしいのだ。
適当に歩いていたら友人の行きたかった本屋さんにバッタリ行き当たった。ここにあったのか!
なんだか思ったよりもいいところだよねー、なんて言いながらてくてくと歩く。千駄木は後日、母が来たときにも再度歩くことになる。
友人と入ったカフェで延々と話していたのでこの日は神社には行けなかったが東京にもこんな風に居心地の良い場所があるんだな。
まだまだ話し足りないような気がしたが日が沈んでから彼女と別れた。1年に1度しか会えないのだけれど、それが励みになる人、という存在はとても大切なものである。
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