「これが・・・だ」
ツイッターでまたこんな断定的なタイトルのブログ記事に関するコメントが流れてきた。
確か「これが国際結婚だ」というものだったと思う。
こんなタイトルで読みたくなる人がどれほどいるのかはわからない。
海外では・・・や欧州では・・・の括りもそうだが、極めてざっくりとした大雑把な表現が日本語には多く見受けられるように思うのだ。
日本語にはどちらかというとニュアンス言語というか、行間を読ませるような特徴がある。翻訳をする際にいつも感じるのだが、日本語では1行で済む表現がドイツ語に置き換えようとすると必ず2行とか3行に増える。
日本語はどこかふわっとした掴み所のない表現が多く、そのふわっとした中に色々な意味合いを持たすことが可能な言語なのだろう。
言い換えると誤解を与えやすい言語なのかもしれない。
ドイツ語はその逆でふわっとした言い方を嫌うし、こうこうこうだからこう、と前後関係をはっきりさせないと成り立たない。
ベルリンに来てから随分と経つが、今だにドイツ語でドイツ人相手に議論をするのはとても難しいと感じる。会話で使える言い回しもバリエーションに欠けるし、ましてや心情を表現するような場合、単語の持つニュアンスや他人に与える印象まで把握しているとは到底思えないからだ。
だから、自分の意見を言う前には必ず、「誤解の無いように努力はするけれど、どこまで伝えられるか分からない。」と一言断ってから話すように心掛けている。
話が随分と外れてしまったが、とにかくタイトルにあるような「これはこうだ。」みたいなアイキャッチ的な単純化された表現を目にすると、内容を読む気が失せるばかりか、仮に読んだとしても最初から内容を疑ってかかるので頭にそれほど入ってこない。
アイキャッチどころか注意シグナルのようなものとしては機能するので、それはそれで悪くないのかもしれないが。
「これが国際結婚だ」
「これがバイリンガル育児だ」
「これがベルリンだ」
「これが親子留学だ」
「これがフリーランスの働き方だ」
「これが稼げるブログの書き方だ」
巷にはこんな謳い文句で溢れているように思える。
物事はそれほど単純でもないし、一般的に語れるような代物ではない。あくまでもどこかの誰かによる極めて個人的な意見や体験だ、ということを忘れないようにしたい。
*タイトル写真はベルリンで撮影したものです
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