友人たちとのランチ
今週は本当の意味での「夏休み」をもらったので、とにかく会いたかった人たちに会っておこうと珍しく自分から積極的に連絡を取った。そして、いいタイミングで連絡をくれた知人もいた。
家が近くて定期的に会っている友人は別として、物理的な距離が徒歩範囲ではない友人たちとは普段の生活リズムだと、会えそうでいてなかなか会えないのがこれまた不思議でもある。
ロックダウンの影響で、ほぼ1年ぶり以上という人がほとんどだったのにも驚かされた。一体、この1年間何をやっていたのだろう、という気分にさせられる。
日々の生活が忙しい、といっても少しくらい必ず時間は作れるはずだからだ。その時間が取れるか取れないかと言うのは、もはや精神的なゆとりの問題なのである。
大人になってから、「今から会える?」と言っていつでも気軽に会える人、というのは極端に少なくなる。ロックダウンのようなある意味、とても特殊な状況下ではもはや奇跡に近い。幸運にも身近にそう言ってくれる人たちがいて、だから、自分もいつかそう言えるような「精神的なゆとり」を持てるようになりたいと心から思うようになった。
「優しさ」というものは、過去に何かしら苦労した経験がある人だったり、生活に余裕のある人が他人に対して持ち得るものではないかと思う。自分に余裕がなかったり、健康を害していたり、何もかもが上手くいかない時には、そう簡単に他人に与えることができない類のものだ。自分のことに精一杯の状態では、まず他人に手を差し伸べることなどできないからだ。
久しぶりに美味しいご飯を友人たちと食べた後、Dachaというロシア料理を出す店でロシアのチャイ(紅茶)を飲みながらそんなことを考える。
昨年のようなロックダウンにならなくても、秋から冬にかけては似たり寄ったりの状況になるかもしれない。その時に、いつでも受け入れてくれた友人はもうベルリンにはいない。今度は自分がそうなれるようになりたいものだなぁ、なんて半ば夢みたいなことを考えてしまうのだ。
まずは最短距離で自分のやりたいことにリーチできるように、戦略を練るしかなさそうだ。この次に会う時には何か少しでもいい報告ができればいいな、と思う。
短いけれど、私のたった5日間の夏休みはとても充実したものだった。時間を作って会ってくれた友人たちには本当に感謝している。
部屋の片付けが進まないのは、ここまでくるともはやデフォルトかもしれないな。