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ドヴラートフ「わが家の人びと」

毎日noteと並行してドイツ語の発声練習になるかも、という安易な思いつきで毎日音読を始めて半年以上になるだろうか。

ドイツ語とは全く関係のない英語やロシア語、そして日本語でも気になった本の一部を(著作権の問題には目を瞑って)声に出して読んだこともあるが、あまりうまくいかなかった。

日本語やドイツ語については練習なしにいきなり読むことがほとんどだが、最近遠ざかっている英語やロシア語についてはある程度の予習が必要だ。気軽にできないのであまりやっていないのだが、こちらの二言語についてももう少し頻度を上げられるといいな、とは思っている。

さて、表題のドヴラートフ。ロシア人作家のセルゲイ・ドヴラートフ(Сергей Довлатов)のНаши(Ours)が沼野充義氏によって訳されたものだ。

この作品を読んでみようと思ったのは2018年の第68回ベルリン国際映画祭で「ドヴラートフ、レニングラードの作家たち」を観たことがきっかけだ。この作品は銀熊賞(芸術貢献賞)およびモルゲンポスト紙読者賞を受賞している。

映画が思いのほか良かったので、実際に作品を読んでみたくなったというわけ。

沼野氏の解説によると、ドヴラートフの作品が日本で知られていないのは彼の一見つかみどころのないとぼけたユーモアと飄々とした作風にあるのではないかということだった。

真面目な日本のロシア文学界との相性も悪い上、他の強烈な風刺作家や現代ロシア作家の中でもその存在が霞んでしまいがちなのかもしれない。

しかし、ペレストロイカが始まり、彼の作品が「解禁」されると、ロシア本国でも彼の人気が高まってくる。

一九九〇年に惜しくも彼がまだ五十歳にもならない若さで早世(そうせい)すると、その姿は一種の伝説のオーラのようなものに包まれはじめた。一九九三年にサンクト・ペテルブルクで彼の主要な作品を集成した三巻の著作集が十一万部にも及ぶ部数で出版されるにいたって、彼の人気は頂点に達する。
〜「わが家の人々」訳者解説より〜

どうやら1993年に出版されたという第3巻目が自宅の本棚に長い間、鎮座していたことも最近になってようやく気付いた。以前、モスクワの友人からもらった本だったのである。

そんなドヴラートフによる「わが家の人びと」。まだ全て読み終えていないのだが、今のところ一番のお気に入りは11レーナ これは愛じゃない。ドヴラートフがどのようにして妻のレーナを知ることになったのか、という馴れ初めを中心に妻のことを書いた章だ。

そのときぼくを驚かせたのは、平凡な日常性と気違い染みたことの混じり具合だった。そして、今回もまた同じような感覚があった。
「六時ごろ帰るわ」とはねえ・・・・・。

日常から少しずれた感覚。そしてそのずれがいつの間にか日常にすり替わっていく状況がおもしろおかしく描かれている。

ロシアに興味のある人もそうでない人にも一度手にとって欲しい作品です。

ロシア語で読んでみたい人にはこちらのサイトを。3章分無料で読めます。




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