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外国語で言語化するということ
物心ついた時から、人の目をじっと見て話をするタイプの子供だった。
高校生の時も同級生の男子から「そんなに目を見て話すな。」と幾度となく諭されたことがある。
目を見て話さないと相手の本当に意図するところがわからない、と思っていたからだろうか。目を見て話さないと落ち着かないのは今も変わらない。
「はっきり言いすぎる。」
こんなこともよく言われた。日本では自分の意見を発言することが、「出る杭は打たれる」とまではいかなくとも余り歓迎されるとは言い難い。
自分の意見を主張せず、黙って頷いていた方がうまく世を渡れるような風潮がある。それがうまくできずに学校でもかなり苦労してきた。
こんな私の弱点もドイツでは大いに役立った。というか、日本では十分過ぎるくらいだった自己主張がドイツではまだまだ足りないくらいだったのだから驚きだ。
ドイツでは「私はこう思う。」「私の観点では、、、」「私なら、、、」と自分の意見を主張しなければならない場面が多いし、そのための言い回しも豊富だ。逆に発言が少なければ少ないほど、その場にいない人のような扱いを受けかねない。
パーティーなどの席でも気を回してわざわざ相手になど誰もしてくれない。自分から話しかけなければ完全放置なのである。これには正直参ってしまった。
ドイツに来たばかりの頃は大してドイツ語を話せなかったので、それはそれで大変だった。言いたいことがあるのに言語化できない、というのがこれほどストレスになるとはそれまで知る由もなかったからだ。
大学の授業でも既に知識としては持っているのに、その持ち得る知識を駆使して自分の考えをドイツ語でうまくまとめて伝えられず、「何も知らない無知な生徒」扱いされることが多々あった。
自分の考えを言語化することができなければ相手にしてはもらえない。単純なことだが、外国語でこれが本当の意味でできるようになるまで相当な時間が掛かることは覚悟しておいた方がいい。
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