会って話すと視界の広がるヒト
SNSやブログ、noteをやっているとごく稀に連絡をくれる人がいる。
「読みました。お茶でもいかがですか。」
自分の書いたものを読んでくれるだけでも嬉しいのに、わざわざ会おうと連絡をくれるのだから本当にすごい。そして、「お会いしましょう。」の文面からだけでも、やはり何となくその人の纏う空気感みたいなものは感じられるものだ。不思議なことに。そういえば、顔出ししていない時は男性と勘違いされたこともあった。
仕事として「撮影コーディネーター」と書いてあるので、撮影関係者の人たちから連絡をもらうことも多い。そして、大抵の人はフットワークが軽い。撮影には国を跨いでの移動が多いからだろうか、特に技術系の人はその傾向が強いように思う。
さて、そんなわけで今日は久しぶりにコロナ禍で激減している「初めまして」を言いにカフェに向かった。
そして、初対面なのに2時間以上も話し込むことになった。思い返すと「撮影」の話というよりは、「生きるとは」や「人生とは」に近い話になったような気がする。具体的にそのテーマで話したわけではないんだけれど、タイトルを付けるとしたら恐らくこれらがぴったりくる。
とにかく話をしていると、視界が開けて地平線が見えるようなタイプの人だった。サバイバル能力がずば抜けて高いのだ。
一番印象に残ったのが「会いたい時に会っておかないと、会えなくなると思うんです。」という言葉だった。
まさにそれ。これは個人的には、コロナ以前に既にそう思わせるできことがあって痛感させられたのだけれど、コロナウイルスのパンデミック化によって好きなときに自由に動けなくなってからは尚更そう感じるようになった。
私を含め、大抵の人は「日常生活」はこのまま続くもの、と心のどこかで思っているし、思い込もうとする節がある。コロナ禍でそれが少し崩れてしまっても、それはやはり同じことだ。
本当の意味で会えなくなってから実際に後悔することが、どれだけ多いことだろう。だから本来なら今すぐ日本の家族や友人に会いに行くべきだし、モスクワの親友を訪ねるべきなのだ。そして、ベルリンに住む友人にも。
それをしないのは、思いの外「日常生活」という拘束が強く、やはりどこかで「近いうちに会えるから。」と思い込んでいる証拠なのだろう。
そんな中、ネットの情報の海から拾い上げてコンタクトを取ってくれたことに感謝したい。
そしてやはり会いに行きたい人には、今すぐ会いに行く努力をするべきなのだ。
*タイトル写真は「ベルリンの壁跡」です。