花と海と逗子と。広報まとめ役たかけろおねえさん
(※今回のインタビューを動画にまとめています。よろしければ、動画も合わせてご覧ください。)
進化し続けていく町に恩返しをしたい。
逗子市在住フラワーアーティストとして活躍する
たかけろおねえさん。
2017年にアーティストとして逗子アートフェスティバルに参加した。
逗子市は、春には至る場所で花が咲き誇り、
自然豊かな山があり、
山の頂上からは青い海を見下ろすことができる。
自然に囲まれた街だ。
そんな逗子で育ったたかけろおねえさんは、物心ついた頃から花の仕事をしたいと思うようになった。
高校卒業後迷うことなく華道の道に進む。専門学校卒業後は都内で花の仕事に就いた。
しかし、東京じゃなくて地元でなにかしたい。
そんな思いがふつふつと湧いてきた。
その結果独立をする。
初の作品展示が まさかの・・転機
地元に戻って活動をしはじめたものの今後の自分の進路や活動について悩んでいた。この先どうしようか。
そんな時、偶然みかけたのが家のポストに入っていた逗子市の広報誌だった。逗子アートフェスティバルの事を知った。
2017年はトリエンナーレ(3年に一度の大型芸術祭)の年。市からも予算が捻出された年だった。
アーティストとして、逗子会館のアートフォリオに松澤さん(逗子市在住インスタレーション作家)と同じ空間に、作品を展示することとなる。
まさしく転機だった。
今でもあの日の事は鮮明に覚えている。たかけろおねえさんは言う。
【両親や地域のお年寄りが作品を観にきてくれて、すごいね!と褒めてくれた。知っている人の作品が展示されることで、生まれ育ってきた街のおじいちゃん、おばあちゃんが喜んでくれる。こんなに喜んでくれるとは思わなかった。作品を通して発信することが、自分を育ててくれた地域やおじいちゃんやおばあちゃんたちに恩返しをしていきたいと思った。】
この展示がきっかけで、逗子アートフェスティバルに関わることになった。
何もかもがちょうどいい街。
逗子アートフェスティバルの前に、逗子市にについてお伝えしたい。
逗子市は、人口約6万人。
海もあり、山もあり自然豊かな街だ。ゆったりとした時間が流れている。ローカルが漂う街だが、意外にも都内まで出勤している人(通称:逗子都民)も多い。
理由としては約60分というアクセスの良さ。さらに始発が逗子駅から出発するという便の良さである。
では、逗子で生まれ育ってきたたかけろおねえさんにとっての
逗子ってどのような街だろうか。
【逗子には色々な人がいる、米軍基地もあり、外国の方も多く年代も様々、移住してくる人もたくさんいる、私のようにずっと住み続けている人もいる。しかし特に壁がある訳でもなく、みんなが混ざり合っている。多様性を受け入れてくれる街かなと。私のたかけろおねえさんというキャラも自然に受け入れてもらえるこの街は、とても住みやすい。】
ガイドブックには掲載されていない?逗子おすすめスポット!
たかけろおねえさんのオススメスポットは、池子の森。
逗子アートフェスティバルのイベントのひとつに、池子の森の音楽祭がある。この音楽祭は、米軍との共同使用が始まった池子の森自然公園で、
初めての市民発で開催されたイベントである。
実は池子の森は、日本人が立ち入ることができないエリアだった。70年前・・戦時中に旧日本軍によって弾薬庫が造営され、敗戦後は米軍の管理下となる。さらに、広大な敷地の一部は米軍住宅地区となった。
昭和から平成に移り、そして2016年、池子の森は逗子市と共同使用となった。逗子市が整備したのがこの公園である。
70年もの間、里山に広がる約30ヘクタールもの緑地エリアは、放置されていた。数々の希少な動植物が生息し、春には花が咲き誇り、蝶がひらひらと宙を舞う。風が吹くと葉がさわさわと音を奏でる。
たかけろおねえさんの一番のおすすめスポットに案内してもらった。
そこは、森の中の廃線跡だった。
70年間誰も手をつけなかったため、土や緑に覆われている線路。かつて弾薬が運び込まれた場所でもある。歴史が止まっている場所なのだ。線路を奥に進むと、まるで異空間のような緑豊かな空間が広がっていた。
【池子の森の競技場のトンネルの向こう・・あの場所は別世界!!なんですよ!】
この言葉の意味が、よくわかった。そして逗子市の魅力や多様性の原点ともなっているのがこの公園ではないだろうか。
2021年。未来への一歩
2021年、たかけろおねえさんは広報係のまとめ役としてスタートをした。
気づくと、一人、また一人、仲間も増えた。
色々試行錯誤した中でようやく何かが形になってきた2021年。
コロナ禍という時代に私達は何ができるのか。
逗子アートフェスティバルはどんな変化していくのか・・
10月頃から幕があがる 逗子アートフェスティバル。
熱い思いをもった市民が自主的に動き、作り上げてきたアートの祭典と、
この街の魅力を感じてもらえると嬉しい。
たかけろおねえさんの考える、逗子アートフェスティバルのこれから。
【今まで色々な人が集まり、交わりができた、自然に融合し、新しいものが生まれていく。
私は逗子で育ってきたからこれから育ててくれた街に貢献したいと思った。今まで育ててくれたおじいちゃんおばあちゃんが楽しいと思えるような街にしたい。そして若者や子供が、大人になった時に、誰かに教わったことを引き継いでいける街にしたい。この街の取り組んできたことを全国に発信していきたい。アートフェスをきっかけに逗子に遊びにきた人が、いい街だねって言って移住してくれたら、街も存続していける。
アートフェスは市に住み続けている人のコミュニティであり、移住者がこの街に住み続けるきっかけになる街。当たり前のことが当たり前に受け入れられる街。毎年何が融合されて生まれるのかも楽しみ。
今後については、アートを通して、防災を表現できたらいいなと思う。
実は、2019年の台風で逗子市も大きな被害を受けた。その結果、予定していた展示ができないなど逗子アートフェスティバルにも影響があった。今まで大きな被害を受けたことがなかったため、私達は非常にショックをうけた。海や山と共存するということは今後も地震や台風などの自然災害とも向き合って生きていくことが重要だ。だから、自然と共存する逗子市でアートを通して防災を表現できたらいいなと思う。何かあったとき、そういえばアートフェスで展示されてたあの場所に行こう!と思えるような防災に関わる場所をアート作品展示することでみんなに覚えてもらうのが一番大事かなと思う。
堅苦しくなく自然に防災意識が高まるように】
たかけろおねえさんの将来の夢(これからについて)
【自分自身が有名になって逗子で生まれて育ちました。と言えるようになりたい。今SDGsと言われているけど・・逗子を見てると普通にできていることがたくさんあって。
ここを起点にわざわざ当たり前に言わなくても当たり前のように、普通にあることととなっていてほしい。
逗子は、出て言っても戻る場所。自分が戻れる場所を5年間でもっと作り上げていきたい。アーティストにとって、戻れる場、認めてくれる場所があるから挑戦できる。色々な人と関わって、色々なものが融合して、動き続ける、持続可能なまちづくりを続けていきたい。アートが溢れている街になるといいなって思っている。】
インタビュアー/ライティング 小代有美
撮影/編集 嶺隼樹
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