小説家によるChatGPTについての走り書き、その3。
さて今週、全米脚本家組合(WGA)が「AIを利用した脚本制作を認める」とする考えを示しました。
わーお。
この報道をしたのはアメリカのVariety。日本では馴染みがないけど、アメリカでは歴史のあるエンターテインメント業界ニュースサイト(昔は雑誌もあった)で、信憑性には一定の評価があります。
で、今回は小説家・脚本家である僕のAIについての走り書き、その3。
AIネタ長い? でもまだまだ自分の中で整理しておきたいことがあるのよ。興味ある人は付き合って頂ければ。
ChatGPT後のマンガと映画
AIが小説家や脚本家の仕事を激変させるというのは、前回書いたとおり。もうめっちゃ変わる。GEKI&HEN。WGAが使って良いよって言ってんだから、逆に使わない脚本家は取り残されていくことになるでしょう。もう今からすでに。
で、ここからは小説や脚本以外の、マンガや映画の話。
おそらくChatGPT3.5が登場する前は、これから書くことはSF小説の設定でしかなかった。もちろん飛躍もあるけど、自分的にはけっこうリアルな未来。
この前も書いたとおり、これからは1つの作品の完成にかかる時間も劇的に減っていきます。あっという間。そのうちに
「お湯を注いで3分待つとか超長い、というかお湯が沸くまでの間に脚本を一本生成しておこうかな、君の心が沸騰するような熱い物語をな(お前だれ?)」
という世界すらやってくるかも。
その上、AIの精度がぐんぐんと上がってくる。そうすると、今まであり得ないレベルで「最適化された物語」というのが生まれてくるのは間違いありません。
物語のサイテキカ?
えっと、自分好みの物語のこと?
いやいや、そんなもんじゃない。
自分が登場するのはもちろん、その「自分」が描かれる精度がマジやばい。「姿形だけ」「生活環境すべて」「性格も完全一致」、という細かい選択ができるようになってくる。
小説のような活字メディアだとイメージしづらいかもしれないけど、これがもしマンガだったら? 映像だったら?
……HMDをつかったら?
その意味で新しい時代には、より「体験したい」と思われるような物語が求められると思う。
だから新しいストーリーは「共感」より「憧れ」が牽引することになるはずです。これまでよりも、さらに強く。
進んでいく物語の「フォーマット化」
一方で、過去作品の利用も増えていく。
すでに映画でも音楽でも、過去作品のリメイク、ミックス、オマージュは大いに行われてます。今後は、すでに存在する過去作品の主人公を自分に改変してフィットさせ、成立させるることが容易になる。
たとえばもしララランドの主人公が自分だったら? とか。自分が歌って踊って切ない大人の恋愛をするわけです。
(まぁAIはいわば既存データのリミックスなので、AI生成の新規作品自体がそもそもリミックスとも言えるけど。それを言えば人間が作り出すものだって過去に学んで来たアートのリミックスだから、今更なに言ってんの感はあるかもしれない)
そしてもし主人公を自分に変えられるとしたら(そしてあらゆる登場人物を自分の好きなように変えられるとしたら)、これからの物語はフォーマット化していく。
「いやいや金髪ちょっと待てよ、飛躍しすぎだあんた。小説ならまだしも、AIは漫画なんて描けるわけないでしょ。絵柄のあるマンガは変数が多すぎるし。流行のスタイルだってある。映像はなんかさらに複雑じゃん」
と思っているあなた。
AIがネット世界をクロールしたビッグデータを扱って、選挙の投票結果を高精度で的中させる事例、聞いたことないですか? 何年前だっけ? MogIAはトランプの勝利を予言してました。
AIはトレンドを掴めるんです。トレンディーAI(ちがう)。
少なくとも、トランプが勝つと思っていなかった人よりも政治的潮流は読めるし(僕より読める)、その範囲は広がっていくでしょう。
そしてそのトレンドに沿わせて、AIは無限にバージョンを作ることができる。
チンパンジーがシェイクスピアをまだ書けないのは、短時間で無限にタイプライターを打ち続けるチンパンジーが存在しないだけで、もし「無限に、それを一瞬で」行えるチンパンジーが存在したら「マクベス」も「リア王」も、なんなら「ツァラトウストラはかく語りき」だって書けている。(もっとも血によって書かれていないこれらの物語をニーチェは愛さないだろう)
ストーリーを含むマンガも映像も、おそらくそう遠くないうちにAIは作れるようになるはずです。今は想像できなくても。
だって、去年までAIに小説が書けるとは思わなかったんだから。
MidjourneyやDALL·E 2とChatGPTだけで絵本は生成できそうだし、ニューラルネットワークを利用した音声合成や映像合成で即時アニメや映画の生成だって想像に難くない。
作画が気に食わない?
それなら宮崎駿タッチの別のバージョンをいま生成しますね。
声優が気に食わない? 歌声がいまいち?
それなら美空ひばりの声をあててみましょうか?
物語の白い砂浜
「映画の生成」
って去年まではぜんぜんリアルじゃなかった(あるいは存在しなかった)言葉が、急に実体を伴った響きに変わった、それが2023年3月。
作家の仕事は生成の呪文と、最後のレタッチ。
(もしそのときに職業作家として食べている人が残っていればだけれど)。
そこでは共感よりも憧れに重さが置かれ、個人に超最適化された物語が瞬時に生まれる。
さらにその後の未来は?(といっても年単位でしかない)
一歩踏み込んだ想像をしてみると、呪文(プロンプト)が必要なのはおそらく今だけで、そのうちもっと簡単になる。
「え、火打ち石から火を熾すの? このライター貸してあげるよ」
的な。ライトルームでパラメーターを調整するように、物語は調整されていく。そのうちInstagramのフィルターを選ぶような手軽さになるかもしれない。
その近未来ではもはや体験コンテンツの選択を人が自分で行う必要はなくなってるだろう。すでにTikTokがそれを実現しているけど、映画生成が可能となった世界線ではコンテンツ生成に人の介入がどんどん少なくなっていく。
にもかかわらず、コンテンツ量は爆増していく。
そりゃそうだよね。
シンセサイザーの登場は、
日々生まれる楽曲の数を激増させたし、
デジタルカメラの登場は、
日々生まれる写真の数を激増させた。
それらがスマホに載った瞬間に、
さらに爆発的に増えていった。
彼らはプロの写真家じゃないけれど、日々せっせと写真を撮る。AIによって、これから人はせっせと物語を作っていく。
真っ先に想像できるとすれば、それは「日記」という形で登場する。勝手に自分の日記を書いてくれるAI(誰か一緒に作らない?)。
物語の種類や形はどうであれ、
砂浜の砂を掴んで投げるような気軽さで、
一瞬で莫大な量のコンテンツが宙にまかれる。
そのとき、僕らの心にはどんな変化が起きるのだろう。
それも、とくに僕らの子供には。
そのイメージは、また別の機会に。