前言撤回。「ChatGPT」で小説家の仕事がなくなると感じた、小説家の話。
「AIは比喩が作れないから、小説家の仕事はなくならないでしょ」
と書いて間もないのに、今やほぼ確信しております。なくなる。小説家という仕事が。
誰だよ「クリエイティブな仕事は生き残る」とか言っていた奴は。バケツ持って廊下に立ってて欲しい。壁側を向いてな。
皆さんもう使った? ChatGPT-4。
すごすぎない?
連邦の新型の性能(合衆国だけど)。
という点については、考えは基本変わっていないのだけど、じゃあ
「新しい比喩を、誰が求めているか?」
を考えたとき、
多くの人はそんなものに興味はないだろうし、現に、新しい比喩でなくとも人々の心を動かしたり、きちんとヒットしたりする物語はあるわけです。
ChatGPT3.5の時点で、既にAIは物語を生み出せるようになってる……というのは、この前書いたとおり。適切な呪文(プロンプト)を唱えれば、自分のアイディアをかなりの精度でまとめてくれていました。
ChatGPT-4になると、その精度が格段に上がってるのを実感します。
現に、AIに小説を書かせている人は世界で激増していて、アメリカのSF誌(Clarkesworld Magazine)はAIで書かれた小説がむちゃ送られてきてどうにもこうにもさばけないから、小説の寄稿システムを一時停止したほどです。
遠からず現れるだろうChatGPT-5では、さらに文書生成のレベルはあがるのは間違いないし、それが来年? もしかしたら年内に爆誕するかもしれない。
いやー、自然言語処理の進化スピードすごいわ。
……ところで、ここで話は変わるけど。
ビヨンセは写真を撮るときにメークアップをしない、という話を知ってますか?(僕も見たことはないけど、聞いた話です)
「でも、ビヨンセは化粧してんじゃん」
と思うのは当然。
ノーメイクで撮影後、後からレタッチで電子的にメークしていくわけ。技術的には写真だけでなく、動画でだって後からそれとわからないくらいレタッチしていくことが可能です。僕らだってスマホで簡易動画レタッチ使えるしね。
その高度なレタッチ技術を持っている人を「レタッチャー」と言います。
いまや、というか随分前から、カメラマンにはレタッチ技術が必須であり、アメリカのエンタメ現場の一線級ではカメラマンよりレタッチャーのほうが単価が高いと言われています。
さて、もしAIが人の心を動かせるような物語を数秒で生み出せるようになったとしたら、そのときの作家の仕事はレタッチャーに近いような仕事になると僕は思ってます。小説家や脚本家の仕事がなくなるというより、変化する。
カメラマンがフィルム現像液の水温確認を止め、その代わりにライトルームで電子的に現像し、仕上げのレタッチを加えるようになったみたいに。
作家は、アイディアを元にAIに物語を作らせ、その物語の「お直し」をする。これは初音ミクのようなボカロにおける「調教」と呼ばれる追加的編集に近い。物語の「粗い」部分をちょこちょこっと手入れして直していく作業。
シークエンスを加えたり、台詞の言い回しを変えたり。おそらくそれも簡略化されていって、1アクションで物語を好きなトーンに調音できるようになる。
小説や脚本では膨大な修正時間を伴うような「登場人物の追加や削除」というような変更も数秒で可能になるはずです。
これは本当にすごいことなんです。
でもこんな話を飲み屋ですると、
「しかしAIが作った物語には
人の魂がこもってないじゃんか!」
という派閥の人としょっちゅう遭遇する(まだ2023年だから)。いや、ほんとおっしゃるとおりなんだけどね。
けどさ、人間が作った曲と、AIが作った曲を聞き分けられる人ってどれくらいいるのだろう?
シンセサイザーの音色に、いま誰が文句をつける?
あるいは、人が書いたイラストと、AIがつくったイラストを完全に見分けられるよーっ! って人、いる?
もしいるなら今すぐミッドジャーニーを触った方がいい。そして驚愕し、震え上がり、半信半疑でいいからfireflyの事前登録しておきなはれ。
このテキストのカバー写真はミッドジャーニーで作ったもの。数十秒でサイバーパンクな天使を描いてくれました。
さっきのビヨンセの画像も、あれ「ビヨンセ風の女性をマーヴェルヒーロー風に」AIに描かせたものです。チューリップでさえまともに描けないこの僕が。
人の魂がこもってなくても、すごいもんはすごいんだよね。
神が細部に宿るなら、フラクタルな細部構造を無限に構築できるAIは、人よりも神に近くなる。
そしてもし、「AIには魂がー!」を突き詰めれるのならやっぱり人の意識とかクオリアに話は至る。
たとえばD・チャーマーズの哲学的ゾンビ問題における僕らのオルタナは、それがゾンビだと周囲の誰にも気づかれないし、ゾンビは意識はなくとも反応して「僕らしいなにか」を生み出していくわけです。
AIには(まだ)魂はないけど、
人間が作るような創造物は作り出せる。
ちょっと前までは人間とAIとの「境界」みたいなことが言われてた気がするけど、そんなものはとうに突破されて、いまや「到達点」の差の領域にさしかかってる。
さて、思い出して欲しいのだけど、小学生の時
「感想文を原稿用紙3枚で書きなさい」
と言われてうんざりしなかった?
一般的な中長編小説は、原稿用紙換算で数百〜千枚以上の物語です。小説や脚本を書くにはけっこうな──スケジュール表を眺めたときに手のひらが汗ばんでくるくらいの長い時間が必要です。とんでもない仕事量。
でも、その完成度がAIベースで書かれてレタッチャーによって完成された作品とそれほど変わらないとしたら、これまでのようなゼロイチで物語を生み出す仕事では食べていけなくなるのは間違いありません。
そして、食べていけない職業を、目指そうとする人はどんどん減っていくと思う。
この10年で、指数関数的な速度で。
もしかしたら、5年くらいかもしれない。
AIが進化しても創造的なお仕事は大丈夫〜、なんて言われていたけど、これまでの作家という職業は完全にレッドリスト。
もちろん、
書くこと自体に喜びを感じるタイプの人(僕のような)はいつだって書き続けるだろうけれど、それが「仕事として成立」するのは今よりもさらに困難になる。
全てを人間の手で書かれた小説や脚本、あるいは本そのものは数年後から減り始めて、やがてどんどんなくなっていく。
その未来では、さっきも書いたとおり、いわゆる作家とは「レタッチャー」のことを指すようになるはずです。いわば、より実際的な意味でストーリーテラーってより
ストーリーテイラーとなる。
生地からスーツを仕立てるように、AIが生成する生地をお直しして、物語に仕立てる。
そこでは100%人の手で書かれた物語は珍しいため、
「え、これ人がぜんぶ書いたの? AIじゃなくて? すごくない?」
というような驚かれ方をするようになる。
……とまぁ、作家からすれば悲観的に聞こえるかもしれないけど、実はぜんぜんそんなこともなくて、楽しみなことがたくさんあります。
でもすごく長くなっちゃったので、それはまた別の機会で。