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【エッセイ】アラビアの庭〜アーモンドの花〜

アーモンドの花の可憐さ

海外の果物屋には魅惑がたくさん。東南アジアの路面店で売られる南国フルーツやポルトガルの糖度の高すぎるオレンジ、チュニジアのつぶれた形の白桃など、その国独特の果物がずらりと並ぶ。言葉も通じないから身振り手振りで、店主に色とりどりの果物の中から品定めをしながら、見たことも食べたこともない果物も一切合切袋に入れてもらう。やっぱり果物屋の店主にその日の一押しを選んでもらったものは自分で選ぶのとは3倍も5倍も違って格別だったりする。無愛想で商売っけのない店主を呼び止めて、言葉も通じない宇宙人のような旅行客がジェスチャーで店頭で騒々しくしていて、帰るそぶりを見せず邪魔なので払い除けるために渋々袋にいくつか果物を放り込んで渡したくれたものも、これまた想像以上に美味しかったりする。帰国直前に、あの店主をまた説き伏せるのが怖いなと思いながら、最後にもう一度食べたいと思っても、次にお店を訪れた時にその店主がいなかったりすると、あの芳しい果実の味は永遠に思い出の中でしか出会えなくなってしまったりする。

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さて、冒頭のアーモンドの花。アーモンドと言って思うのは、大陸ではアーモンドは余程日本より身近な存在で、花や実がいたるところで生活に根付いてる。少し羨ましい。

クウェートに住んでいた頃、時折店頭に並ぶ不思議な種子があった。白い毛に覆われた緑色の3センチほどの物体は、先が少しとんがっている。1kgほどの重さにもなりそうな量が一箱にきれいに並べて詰められ、その箱が壁一面に陳列していたりする。一粒が桃の実の子どものような大きさで、見た目にも青臭そうで、なんのために熟していない実が一箱に大量に入って、そしてそれが山高く並べられているのか、不可解であった。特に試食を出すわけでもなく、かと言ってりんごやオレンジのようにバラ売りでもないので、試しに買うわけにもいかず、謎は解き明かされることもなく、それは日本の夏の終わり頃に毎年決まって店頭にやってきた。そして、それがアーモンドの実だと知ったのは数年経ってからだった。

ある時訪問先でイラクに駐在している人と出張先のドバイで一緒になり、仕事の合間時間に、イラクの現地の人がよく食べているると言って差し入れに出してくれたのが生アーモンドだった。日本では、アーモンドはローストされたものが主流なので、梅干しと同じように、生のアーモンドはアクがあったり毒性があったりするのかと思って、それを出された瞬間怯んでしまったが、イラクでは一般的に食べているということなので、一体どういう味なのかと食べてみた。

それは杏仁豆腐のそのものだった。そういえば杏仁豆腐に使う杏仁杏はアーモンドで、同一のものだ。だけど、極東の日本で生活する限り、この二つはバニラとバニラエッセンスのような関係性を持たず、まるでジキルとハイドのように酒の肴界とプリン界という全く違う世界を生きている。アーモンドはたまに焼き菓子にも登場するけれども、そんな時はフィナンシェやマカロンなどもう完全にパリっ子気分で、アジアに魂を売った杏仁豆腐にちっとも気にもかけない様子で声もかけない。もしかしたら本人たちもお互い生き別れの双子の片割れであるということを忘れているかもしれない。

アーモンド(英名:Almond)は、バラ科サクラ属の落葉高木。及びこの果実の種から作るナッツである。
古くはヘントウ(扁桃)と呼ばれ、その名のとおりアンズ、桃やウメの近縁種で梅などに似た果実をつける。その果肉は薄く食用にはならないが、種子の殻を取り除いた仁の部分が生アーモンドとして食用になる。

ビールのあてくらいしかイメージのない茶色い皮で覆われた無骨なアーモンドだけれど、スターバックスの隠れたおすすめは、バニラクリームフラペチーノにアーモンドシロップをショットすると、杏仁豆腐フラペチーノになる、というもの。学生時代にハマっていた。

その魅力は、薔薇や桜それに杏に劣らず、可憐な花や少し酸味のある実、そしてローストすると香ばしくなるという、全方面においてアツメンだということを、コンビニのおつまみコーナーを通る時はそっとアーモンドを応援するようにしている。



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