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映像のためのメモ、あるいは愛しています、わたしも アーメン

友人の公演の記録映像のためのメモ。

ユーマ、待機線 memo

音楽

17世紀のオランダ文化では、音楽は若者が自由に交流できる活動のひとつであり、求愛と関連していた。17世紀後半には芸術において音楽と愛の関係は確立され、デュエットは性的な関係の隠喩であった。

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待機線

「わたしは恋をしているのだろうか——然り、こうして待っているのだから。相手の方は決して待つことがない。自分も待つことがない者として振る舞ってみようと思うことは多い。別のところで忙しくて、遅れてゆこうと努めてもみる。しかし、この勝負はいつもわたしの負けに終わる。なにをどう努めてみても、結局のところわたしは暇なのであり、時間に正確で、早めに来てしまっている。「私は待つ者である」これが、恋する者の宿命的自己証明なのだ。

——ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』


後続の列車を先行させるため、一時的に車両を待避させるための線路のこと。

美術作品について


馬の脚
ゲーテのファウストの中に「馬の脚を見せる」というような記述があり、それは悪魔的なものの正体が予期せずあらわれてしまうことの寓意だったと記憶している。馬脚をあらわすの慣用句に近いがより宗教的な意味合いを帯びる。


これもゲーテのファウストにおいて否定的な意味合いであらわれる。「首に赤い縄を巻く」=女性が不貞をはたらくと縛り首になったことから、不実さの隠喩として扱われる。

二重の扉
直角に組み合わされた枠に一枚づつ取り付けられた扉。それぞれの扉には右手を模った彫刻が埋め込まれていて、扉と扉がぶつかるとき、握手をするような形になっている。衝突と接触の境界は曖昧になり隔てられていた空間が結ばれる。

ゲーム盤
このゲーム盤は誰かと遊ぶにはいささか小さく、その上に並べられる駒も独創的にすぎる。

傾いた柱、日時計?
日時計は太陽の位置から時間を割り出すための発明だが、この作品はその土台が傾いて据えられているため正確な時間を指せるとは考えられない。

絵画の描かれた箱あるいは箱のようなフレーム
絵画を縁取るフレームが作品と現実との境界だとすれば身体を絵画の中へと導く装置。

壺(鉢?)
鉢植えのない鉢。

身体
作家の作意を離れたもの。他者。

ベンチ
もう使われなくなったベンチ。かつて不特定多数の人々が憩った場所。

ピントのぼかし

礼拝画の機能。不明瞭さは、像の他者性をしめす。表象は現れては消え、消えてはまた現れるという漂い動く状態となる。
本質的なものは、より豊かなもの、より生き生きとしたもの、つまり私の理解を超えたものに到達するためである。

——ゲルハルト・リヒター

美術作品と空間全体を静物画として捉えつつ、身体と運動が美術作品と関わることで引き起こされる原因と経過と結果を記録する。

以上。

4月によく聴いていた音楽

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