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2024年3月上旬

ようやく秩父に荷物を少し動かした。杉並のオフィスから高速と有料道路を使って1時間半。部屋のある町の手前に冗談みたいな急カーブが続く道があって、否応なく運転技術が向上するが、鹿飛び出し注意の看板を目にするたびに、どう注意すればいいのかわからず途方に暮れる。

なんだかんだ杉並でやらなければならないことがあるのと、やはりかなり心細いので、まだ秩父の部屋には泊まっていない。
テレビのアンテナの差し込み口が旧式で持っていったケーブルが挿さらなかったことも大きいかもしれない。
心細いとき、味方になってくれるのはテレビか、あるいはラジオだろう。能動的ではない情報の享受。

秩父の部屋にジモティーで安く譲ってもらったオイルヒーターを設置した。
積読から読みたい本を数冊持っていった。
途中で放置していた村上春樹の『街とその不確かな壁』とピンチョンの『重力の虹』、何度目かの再読になるヴォネガットの『猫のゆりかご』。あとはオフィスの床でバッテリーの落ちていたKindle。
部屋のすぐ近くにあったバカでかいドラッグストアで、シャンプーやコンディショナー、清掃用具や歯磨き粉などを6000円分くらい購入したがまだ使っていない。
トイレに直接貼り付けるタイプのジェルを試したが、力加減を間違えたらしく3回分くらい一気に張り付いた。トイレに入るたびに便器にスライムが張り付いているみたいで少しビビる(R.I.P鳥山明先生)。

父親を助手席に乗せてMTのパジェロミニを運転した。10年以上ぶりにマニュアル車を運転して、10回くらいエンストした。わたしがエンストさせるたびに父親が素早くサイドブレーキを引く。ようやく走り出したと思ったら絵に描いたようなノッキングに見舞われ、わたしたちは笑う。

『PERFECT DAYS』を観た。ミニマルに見える生活の階下には人生の断片が詰め込まれたダンボールの積まれている部屋があって、それが画面に映ったとき、わたしはこの映画を全面的に支持しようと思った。

映画を観に出かけた新宿で時間潰しに入った伊勢丹でバリー・マッギーの展示をやっていた。15年ほど前、今では連絡のつかない友達と、青山かどこかで開催されていた同氏の展示を見にいった。
帰りに池袋の居酒屋で飲んで、部屋に戻ってから熱を出した。

人と喋らなすぎてトークがつまらなくなったという噂のアーティストの知人を訪ねて彼女のアトリエまで行った。
アトリエは創作と向き合うための時間と空気の名残りに満ちていて、長居すると熱が出そうだった。
彼女は幾分痩せていて、トークも少しだけつまらなくなっていた。だがそれがなんだというんだろう。

沖縄に旅行に行っている恋人だった女性から、旅先で撮った写真が送られてきた。
わたしが覚えている沖縄とは違う景色だった。
わたしたちはこれから(あるいはこれまでも)全く違う見方で世界を目の当たりにするのだろう。

三月が誕生日の好きな人に花を贈った。前日になって花屋から連絡があって、当日に相手が確実に受け取れるか確認してくれと言われた。
それは不可能だし、それではあまり意味がないのだとわたしは言った。
花屋は少し不機嫌そうな声で、とりあえず届けてみると言った。
なんだか突然何もかもが不安定にあやふやになったような気がして、なぜだかとても悪くない気分だった。

ワンチャンという言葉が嫌いだ。ワンチャンという言葉の響きも、意味も。嫌いすぎて言ってみようかなと思うことがあるが、言おうとすると吐きそうになる。大陰唇の方が滑らかに口にできる。滑らかに口にできる? 
でもまあ、好きな人が言ってたら、好きになるのだろう。
言葉を信じているが、同時に言葉なんてその程度のものだということもさすがにわかっている。だけどやはりわたしは言葉を信じている。ワンチャン、信じてる。

三月の上旬に起きた色々なことが、いまではもううまく思い出せない。日記とは毎日書くから日記なのだと、いまさらながら思う。

秩父の部屋
バリー・マッギー

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