できることと言えば。
きれいな二重だね。いいなぁ目が大きくて…
36年の人生、目について数々の褒め言葉のようなお言葉をいただいてきた。
「パグっぽいよね」「両親共に目の主張が強いもので」などと照れ隠しの返答はお手のもの。
妊娠した時も「きっとぱっちりおめめの子が生まれるんでしょうね!」と声をかけられたが、生まれた娘は一重だった。
「ぅーんお父さん…似?」
そう聞くのは夫の顔を知らない人。
夫と私どちらも知っている人は、どちらかというと私似…と言う。いや完全に私似だろ。
このぺたんこの鼻、ぼてぼてちょぼんとした口、目の垂れ方…
…どう考えても私じゃないか!!!!
いやぁそんなことどうでもいい!!!
兎にも角にもいとおしい愛らしいアイラブユー!!!!!
…
友人に2人、目を二重にした子がいる。
アイプチをしていたのもあり、術後の目の方が馴染み深いのだけれど、旅行先のホテルで見たお風呂上がりの目、風邪をひいた彼女の家にお見舞いに行ったときベッドの上で微笑んだ目。あの目はもう戻ってこないのか…?と考えるとちょっとキュッとする、、、。
…いやだから見た目なんてどうでもいいじゃないか、、、!いやどうでもいいのならいっそそのまま……というか、彼女の目は変わらずそこについている。物事の本質を、瞳の奥を見つめるのだ!!!
…
私は数年に一度シミを取るレーザーを当てる。
最近はポリシーがない髪型が嫌だからとブリーチをした。
結局のところ自分自身が自分を好きでいられればいい。ブリーチは謙遜なしにガチガチに似合っていないが、自分のしたいことをやれ鏡を見てにこにこ。見なくてもにこにこ。誰に何もコメントもらわなくてもにこにこ。
そう。みんなに幸あれ。
要するに今考えていることは、娘が年頃になった時、自分の物差し抜きの見た目へのコンプレックスを植え付けられない社会だといいなぁということ。
「スタイルがいい」などという言葉はなんというかクソミソに抽象的で曖昧なのに「いいスタイルとはあんな感じかな…」とステレオタイプのそれが浮かんでしまう自分がなんとなく哀しい感じがする。し、それに程遠い自分は醜いとすら考えてしまう。
よし、保育園から帰ってきた娘をまた存分にスリスリしよう。
私のやれることは、見つめ微笑みそしてスリスリ。
・・・おしまい・・・
おまけ。
私が眉毛をいじり出したころ母が、「あの眉毛、好きだけどな」と言った。ァアン!?あのイモクサイ眉毛のことかい!?!と眉をひそめた。
みんな通る道なのかね。
一応今は元々のイモクサ眉毛をほぼ生かした形で落ち着いてます。