夫婦仲良くフライパンを育てるには。
昨夜あった夫とのいざこざから、未来の子育てへの不安が湧いている。
まあ今回のことに限ったことではないが。
昨夜あったいざこざの概要は、こうです。
今朝は普通にしゃべった。
が、やはりなんとなく私たちの間にギクシャクを感じる。
昨夜は、つくねを作った。
つくねにからませるトロトロ照り照りのタレ。アトヅケ卵黄にもからみ最高に美味しかったのだが、そのタレはフライパンにもからみ少し焦げついた。
洗い物のとき、それを取るため夫は鉄のフライパンに水を入れ火をつけた。
そういうやり方があることは知っている。
ただこの程度の焦げならばそんなことをしなくてもスポンジの硬い方の面で擦れば落ちることも分かっている。
「油膜がパァになる」という私に「また張ればいいじゃん」と夫。
油膜ってほんっとすごいから。
おかげで目玉焼きはカリッと焼けるし、鶏の皮はパリッとするし、コゲッとしてもうまい。私ね、油膜のことね、ホタテの中の真珠みたいに特別に想ってんだー。
張ればいいよ、いや擦ろう、と火花を散らし、私が擦るから、と申し出ると、チッこの頑固女!年下のくせに!という煙たい眉毛をし、リビングの床でパズルゲームを始めた。
本当にちょっとがんばってゴシゴシしたら落ちた。
「ほーら見ろ、ベロベロベー、根気のないやつめ!」と言ってやりたいところだが、すでに先程の物言いの何が悪かったのだろうか思考に囚われていたので、余計なことは言わなかった。
たしかに、油膜がパァになってもまた張ればいい。たしかに。
彼がパズルゲームをしている間に「鉄のフライパン 水 熱する」と検索をかけた。
それはダメ、せっかくの油膜がパァになります、というのを見たことがあったので、かなりの自信があったが、ひどい焦げのときは夫の方法が推奨されていた。
それはそうだとして、謝る気はない。
だってゴシゴシしたら落ちたのだ。
それに夫が気分を害したのは、別にそういうことではないと思うからだ。
私たちは滅多と喧嘩をしないが、子どもが産まれたら分からないな、と今から不安になる。
鉄のフライパンですら楽しく育てられないのだ。
私たちが喧嘩をしていないのは、ただ問題を先送りにしているだけなのかもしれないな…と思ったりする。
ここまで書いていて、今回の判断「油膜をパァにしたくないため擦り落とす。強要させるのは違うので、私が擦る」というのは、100%理が通っていると思うので、何が悪かったか本当にわからない。
油膜なんてまた張ればいいさという夫の意見も分かる。
崩れてしまったならさ、また創ればいいさ。そういう思考は大好きだが、崩れなくて済む方法があるならばそっちを目指したいタイプなのだよ私は。
フライパンの油膜と子どもの育て方がかぶるかぶる。炙り出す出す。
夫はコップを割る人なのです。
私はそれを修理しようとする人なのです。
私たちが惹かれ合うのは必然だとして、何か一つのものを一緒に育てるとなると、そりゃ無傷で済むわけがないですよねぇ……お互いにね!!!
・・・・おしまい・・・・
おまけ。
だからと言って、間に挟まれたフライパンが被害を被るのも違うよね!!ということで、鉄のフライパンのことは、今後私が担当します!!!
…って、子育てはこうもいかないからなぁ…
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