すぐそこに宇多田ヒカルを感じたこと
昨日、Twitterで見つけたVOGUEの宇多田ヒカルの記事を読みました。
現時点で1.3万いいねがついているので、読まれた方も多いのでは。
「自分を愛するってどうしたらいいの?」と書かれたそのタイトルに、ほんとほんとどうしたらいいのよぉ〜って気持ちでタップした訳ではなく、単純に気になるレベルでのタップだったけれど、とても良かったのです。良かったとかいう言葉は軽率なくらいでした。
昼休憩30分の間に見つけ読み、仕事終わりに寄った美容院のiPad誌面でおかわりするくらいとても良かったので、心に残ったことを書きます。
美容院ではバッサリショートにしましたが、そんなことより宇多田ヒカルの話です。
語られた不安や恐れや罪悪感葛藤などを読み、この人はとてもとても人間なんだなぁと好感が湧きました。
何もかも似ても似つかない宇多田ヒカルをとても近くに感じ「…なんか似てるかも」とか思うにまで至ったのは私がショートヘアにしたからではありません。
彼女があまりにも人間だったからだと思います。
ちょっとヒカルと私語りしますが。
彼女の1stアルバムが人生で初めて手に入れたCDで、それが小6の頃でした。
パチンコに勝ったご機嫌な父が「欲しいものを言え」とのことだったので、「ファーストラブが欲しい」と伝え、手に入れました。
「こいつ(宇多田ヒカル)は、歌がうまいのぉ」としきりに言っていた父のご機嫌を取りたかったのと、転校してすぐだったこともありCDきっかけで誰かと仲良れるかなと選んだそのアルバムを、中学にあがってからウォークマンで何度も何度も聴きました。お陰であの頃はなんとなく仄暗い。
全文公開されたことに対し「この記事目当てでVOGUE買ったのに全文公開なんて…!」という方や「せっかく買ったのに少し残念ですが、ぜひたくさんの人読んで!」という方も居て、波紋を呼んでいるその内容については、読まねば分からぬ感じられぬことだと思うので読んでみてくださいね。
ここでは私が一番心に残った人間活動のことを書きます。あの「人間活動専念宣言」のことです。
私は記事のなかの「人間活動」という文字を目にし、そう言えばそうだったねぇ!と思い出したのですが、、、
調べてみたらあの宣言は2010年のことだったそう。
あのときの私には「?」しかありませんでした。「人間活動」というキャッチーなワードだけを取り上げ中身のことは素通り、といった感じだっだと思います。
「いろいろ大変なんだねぇ」「何をするんだろうねぇ」「労働とかかなぁー」と大学の友人とお煎餅ポリポリ食べながらニュースを見るような受け止め方だったでしょうか、多分そんな感じでした。
宇多田ヒカルの言う人間活動には、こんな些細な時間も含まれていたかもしれないかな、いや違うかな。
34歳の今は、考えたその中身があなたや宇多田ヒカルと全く同じとは言えないけれど、その大切さがなんとなく分かるよ、と思ったんですよね。
そのとき、あぁこれまでのこと私なりに乗り越えてきたのかなぁと、自分のささやかな成長を嬉しく感じました。
よくよく考えれば助けて欲しいことはたくさんあったしもちろんそれを1人で乗り越えた訳ではないものの、明確に誰かに頼りよっかかり乗り越えたことではなかったかもしれないな、と思えました。いつも自己評価の低い私ですが、少し自分を頼もしく思えたというか!
さて、そろそろ終わろうとしたのですが、ちょっとびっくりするくらい内容のない記事になるので、人間活動前、宇多田ヒカルが不安に感じていたことを語った文を引用をして終わります。
どこまでも人間だから人間活動が必要だったんだよね。
・・・・おしまい・・・・
最近、やれaikoだのやれ宇多田ヒカルだの書きましたが、そもそも私は根っからのYUKI愛者なのです。
いろいろ偉そうなこと言ってごめんなさい。
ヒッキーファンの方、ごめんなさい。ヒッキーて言ってごめんなさいね。
(詳しくないと語っちゃいかん攻撃されるぞこわいこわいという認知バイアスどうにかしたい。でもでもここは心得てますよ風にして守っときたい。)