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コンビニでウロウロしている人が成功できる訳ない。

僕はネガティブな性格だ。ネガティブとは物事を否定的に捉えることだ。その根幹にあるものは、「減点法」というものの考え方だ。「減点法」は「完璧主義」とも言い換えられる。

「減点法」とは簡単にいうと、100点満点(理想)を基準として物事がどれほど劣っているかを考えるやり方だ。例えば、100点満点のテストの点数が60点だとして、「40点も取れなかった」とする考え方だ。対して、加点法は0点を基準に考え、取れた60点に着目して一喜する考え方だ。

減点法は、100点を付けられるテストには有効だが、点数が付けられない、人生や人間関係などには全くといって相性が悪い。というか間違いだ。

僕は、「人生は造り上げるものだ」と常々感じる。無という土壌に建設していくのだ。決してなるものでは無い。

原点に足していく。それが人生だ。基準は常に原点にある。存在もしない完璧という名の幻想を基準にしていては幸せになるはずもない。

ハッキリと言う。完璧主義者は頭が悪いんだ。

目の前の幻想に酔って、自分を大きく見せる。それで他人を見下して場合によっては迷惑をかける。

完璧を目指す人は、実は頭が悪いんだ。他の人と違うから完璧を目指すのではない。他の人と違う存在になりたいから目指すのだ。

それくらい恥だということをここで大きく宣言したい。

減点方式の代名詞、テストというものを小学校からずっと受けているから日本人には完璧主義者が多い。それはハッキリと大学受験、高校卒業と共に終わるのだと意識しなければいけない。(いや、正直に言えば、人生において一度も重要な考え方では無い。テストで上位数パーセントに食い込むつもりの無い人は

だから、ここで加点法で生きることを誓おう。0を基準にして生きることを誓おう。いい所に着目しよう。加点法、減点法は性格じゃない。捉え方の呼称だ。矯正すれば誰だって身につくはずだ。60点を取れたなら、取れた60点を誇ろう。

出来なくても君は最悪じゃない。やれなくても終わりじゃない。行動すれば、何かしらプラスがある。それに着目しよう。マイナスというのは存在しない。上限が無いのだから。

ただ、+0というのは存在する。それは、君にとって何の意味を成さない。人生は短いのだから、その場合は逃げてもいい。嫌な人、嫌なこと、留まる必要は無い。そこに何の価値も見い出せない限り逃げるべきだ。

加点法が身につくと、行動力がつく。コンビニで商品を選ぶ速度が上がる。0点基準で期待をしないので、全てがプラスでどんぐりの背比べ状態になる。そこから一つを選ぶことがさほど重要ではない感覚に陥る。ここだ。ここが加点法の真骨頂だ。

そう、期待をしない。これが加点法が選ばれるべき所以だ。僕らは、何にでも期待をしてしまう。「美味しいはず」「仲良くなれるはず」「出来るはず」「なれるはず」そして現実を迎えると、その期待を越えることは無い。これは典型的な減点法の考え方だ。100点を基準に考えているのだから。

「不味いこともある」「分かり合えないことある」「どうしても出来ないことはある」など0点を基準に考えると、いい所が自然と浮き彫りになる。これだ。この感覚が正しいのだ。

さぁ、コンビニで商品を選ぶのが早くなりたいのなら、加点法にシフトチェンジしよう。歯の矯正と同じで、しっかり身につく。瞬時に食べたいものの商品をとって流れるように会計を済まし、優雅に去ろう。

0から積み立てた差分を褒めよう。人生に完成はない。満点は無いんだ。3000点にも1億点にもなる。

僕はこのnoteにおいて、主張を書けたら+としている。だいぶ+が積み上げられたので今回はここまで。コンビニで商品棚を前に永遠とウロウロしているやつが成功なんて出来ないよなぁ。バイバイ!





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