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分解。

自分は介護の仕事を始めてから特養一筋なため、日常生活の多くにフィジカル面での支援を必要とする利用者さんと多く関わってきた。だからということもあるが、これまで食事、排泄、入浴といったいわゆる3大介護にこだわってきたし、これからもそうしていきたい。自分たちは日頃排泄や入浴を普通にやって、食事して腹を満たして仕事や買い物や趣味やらに時間を費やす。それを毎日繰り返すことが当たり前になっている。だから、当たり前のことが当たり前じゃなくなったときって、すごくショックだろうし不自由を感じるはず。特養には、心身の状態や環境の問題から、そういう状況にある方が多い。でも、意思決定はできる。長い人生の中で、自ら望み数えきれない選択をして生きてきた人。歳をとっても認知症をもっても、環境が整ってれば変わらずできる。その実現のために必要な1つとして自分たち介護職がいるのだと思っている。

これまで食べてきたものがむせて食べれなくなってきた。じゃあどうするか。姿勢はちゃんと前を向けているか、ご飯がちゃんと見えているか、ペースが早くないか、咀嚼ができているか、飲み込みが辛くないか。クリアするポイントが分かれば、むせずに食事が出来る可能性がぐんと上がる。

立つこと、歩行、移動も難しい。排泄はおむつにしていて、機械浴槽で入浴している。どうするか。床に足はつくのか、車いすで座位はとれているか、起立性低血圧はないか。それらができれば、あとは介護士のトランス技術があればトイレ排泄が可能になる。また、台や背もたれで浴槽内の高さや広さを調整したり、浮力を活かせば家庭で入る浴槽と変わりなく入れる。

色んな利用者さんがいるし、なんでも自立支援だからということで、『今までと同じ』を強制するのは本末転倒。ただ、自分がこれまで接してきた中では、環境の問題でこれまで出来たことを諦めさせられている利用者が相当数いると実感している。であれば、環境さえ良ければ諦めなくていいことになる。やっぱり不自由は環境が作っていると思うのだ。だから、あらゆる知識、技術、そして思いを馳せることを総動員し、当たり前とされることの中身を分解する必要がある。支援をするポイントを見つけ、利用者さん本人が『こうしたい』と望むことを実現するために、いつだって準備しておきたい。

と言っても、なかなか介護職員自身に理解されない悔しい毎日を送っている💦


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