見出し画像

仏教史料を読む:日蓮直筆書状(ツイキャス配信、2021.3)

今年の三月から勉強の整理のために #研究お雑談 と称してツイキャスで配信を始めました。主に仏教史料や論文を読む企画です。ここに過去回のメモを記録します。配信中のコメントを加筆・修正しました。

今日のメニュー

①日蓮書状「聖人御難事」の直筆一部
②抜粋の校訂、現代語訳
③学説の比較

「聖人御難事」について

日蓮撰、1279年、弘安二年十月一日、熱原の法難の渦中、弟子一同に宛て、鎌倉の四条金吾のもとに置くように指示。
書状の背景、熱原の法難についてはブログの「Jacqueline I. STONE, “The Atsuhara Affair”を読む」を参照。
駿河国富士下方熱原郷:現・静岡県富士市厚原、JR富士駅北側
実相寺、四十九院、滝泉寺:いずれも天台宗寺院。富士川両側周辺に位置

直筆書簡のテキスト化 第十紙一部

彼のあつわらの愚痴の者
とんいゐはけましてをとす事
なかれ彼等にハたヽ一えんに
をもひ切れよからんハ不思義
わるからんハ一定とをもへ
(日蓮1279)

校訂後

彼のあつわら(熱原)の愚癡の者ども、い(言)ゐはげ(励)ましてをど(脅)す事なかれ。彼等には、ただ一えん(円)にをも(思)ひ切れ、よ(善)からんは不思議、わる(悪)からんは一定とをも(思)へ。

現代語訳

日本語訳
かの熱原の無知な者たちには、励みになるように言って、脅すようにしてはなりません。彼らには、「ただすべて覚悟しなさい、よい結果となるのは不思議であり、悪い結果となるのが当然であると思いなさい」と教えるのです。
英訳
Continue to encourage those ignorant Atsuhara people but don’t threaten them. Tell them to be fully resolved. They should think that a good outcome would be astonishing and (instead) expect that the worst will certainly occur. (STONE 2014)

「彼のあつわらの愚癡の者ども」の解釈:飯塚氏の説

飯塚浩氏によれば、日蓮が用いた接尾語「ども」は悪い例に用いられることが多い。「愚癡」との併用例も同様。熱原の信徒は二つの情況下にあった。
①熱原から鎌倉へ連行された百姓
②熱原に残された信心動揺した百姓=「彼のあつわらの愚癡の者ども」
(飯塚1981)

佐藤氏が紹介

佐藤弘夫氏は、件の一節は日蓮の差別意識の表れであるという批判に対し、飯塚説を紹介する。暗に日蓮を弁護する説明にも取れる。
「……この「かのあつわらの愚癡の者ども」が鎌倉に勾引された強信者たちではなく、熱原に残った信仰の動揺した者たちであったことを指摘している」(佐藤2003、なお「かの」と引用されているが直筆より「彼の」が適切と思われる)

ストーン氏の批判(要約)

J・ストーン氏は、以上二氏の言及に触れ、飯塚説を批判する。
飯塚氏は、本書状が鎌倉にいた四条金吾のもとに留めるように日蓮が指示した理由を説明していない。佐藤氏が言及した批判は、日蓮のような平等に救済されると説く教えは、社会的な平等が伴って理解されねばならないと仮定している点で、それ自体が時代錯誤である(こうした相関関係は近代以前の日本では描かれなかった)。この一節は、逮捕された百姓に教育がなかったことをありのままに触れたことを表現しており、とりわけ彼らが仏教に関する知識に欠けているであろう。
鎌倉拘留中の熱原の信徒が信仰を貫くことができたのは日蓮の教導があったからだとも指摘。
(STONE 2014)

*配信後に他の論考を読んでいたら、熱原の法難の時に四条金吾が鎌倉にいたことを自明視しない指摘があり、またどこかで整理したいと思います。■

参考文献
日蓮(1279)「聖人御難事」(『日蓮聖人御真蹟』第十四輯所収、神保弁静編、大正3年、国立国会図書館デジタルコレクション)
飯塚浩(1981)「日蓮書簡と言葉覚書――熱原法難をめぐって」(『解釈』第27巻第8号、解釈学会)
佐藤弘夫(2003)『ミネルヴァ日本評伝選 日蓮』ミネルヴァ書房、2005年第2刷を使用
Jacqueline I. STONE(2014) “The Atsuhara Affair: The Lotus Sutra, Persecution, and Religious Identity in the Early Nichiren Tradition”, Japanese Journal of Religious Studies, vol. 41/1, pp.153-189
中尾堯(2004)『日蓮聖人の法華曼荼羅』臨川書店
小林正博(2010)「日蓮文書の研究(4)―真蹟に現われる「かな」の全容」(『東洋哲学研究所紀要』第26号、東洋哲学研究所)
『日蓮文集』兜木正亨校注、岩波文庫、2017年第16刷