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今のアメリカを、数本の映画から考えてみる/アメリカは驀進するスチームローラー

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先日、ふと「フィールド・オブ・ドリームス」を思い出したのは偶然ではなくて、最近ニュースに接するたびに、「やっぱアメリカってすごい国だな」と思っています。

ニュースの細部には触れないでおきます。

私なりに考えていることもありますが、ほんとのところ、よく分からないからです。「よくわからない」と表現して、その姿勢を批判する向きもあるようなのですが、わからないものはわからない。

したり顔で当事者意識を持つよりは、ニュースに接しながら、今の世の中ってものを考えていくしか、自分にはないのかなと。

いくつかの映画を紹介しながら、散文を掲載させてください。

「ドライビング・MISS・デイジー」という映画がありまして。

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ドライビング・MISS・デイジー
1989年、アメリカ映画、99分

ユダヤ人のおばあちゃんと、黒人運転手の、長年に渡る交流と友情の物語。

とっても好きな映画なのです。

劇中では、25年の歳月が経ちますが、いっさいテロップでは言及されない。鑑賞していると、非常に自然に時が経っていく。

おばあちゃんと運転手、それぞれの立場はありつつ、次第にかけがえのない存在になっていく・・・。

ただ、この映画。最近は(というよりも、実はずっと以前から)、異論反論があった物語のようでして、「黒人を白人の都合に合わせすぎている描写」である、という。
詳しくは、検索してみてください。

私は、「いやそんな捻くれた見方・・・」なんて思っていましたが、ある映画をみたときに、ギャグとして使用されているのを見て、現地の評価はそうなのかもしれない、と思いました。

その映画が、こちら。

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僕らのミライへ逆回転(原題Be Kind Rewind)
2008年、アメリカ映画、102分。

「エターナル・サンシャイン」で有名な、ミシェル・ゴンドリー監督作品。

レンタルビデオ店でバイトしている主人公が、VHSを駄目にさせてしまったことを隠蔽するために、自前で有名作品のリメイクを製作することにする・・・。
という、「こち亀」的展開のコメディ。

ドライビング・MISS・デイジー劇中、「ドライビング・MISS・デイジー」を称賛する白人(ポスター左のジャック・ブラック)に対して、右側の黒人(モス・デフ)が、

「あんな作品、全く良さがわからないね。黒人差別じゃないか」

と突っ込むのです。

ギャグとして使用されるくらい、定着した評価なのかもしれない、と考えを改めました。

でも、私の中での、「ドライビング・MISS・デイジー」評価は揺るぎない・・・なんてことを思っていますが、こういうニュースもあるわけで、

コンテンツのあり方って、難しい。

作品の偉大さと、現在の問題意識は関係がない!と言ってみたいものの、確かに国策映画等、映像により思想や行動を扇動していくという意図は昔からあるわけで、そんなことも言ってられない背景もある。

「デトロイト」

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「ストレイト・アウタ・コンプトン」

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「ブラック・クランズマン」

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自分が、「骨太エンターテインメント」として楽しんでいた背後には、確実な怒りが存在していることを、改めて気付きだしています。

早く日常が戻ってきてほしい、と考える傍ら、「フィールド・オブ・ドリームス」での、テレンス・マンの台詞を思い出すのです。

“長い年月 変わらなかったものは野球だけだ
アメリカは驀進するスチーム・ローラー
すべてが崩れ 再建され また崩れる
だが 野球はその中で踏みこたえた
野球のグラウンドとゲームは
この国の歴史の一部だ
失われた善が再びよみがえる可能性を示してくれている
皆 ここにやって来る”

コンテンツがどこまで現実を語っているかはわからないけれど、まさにこの事態が起きているのではないか、と思いを巡らしています。

アメリカは驀進するスチーム・ローラー。
すべてが崩れ、再建され、また崩れる。

少なくとも、自分の身近で、手が届く範囲内でできることは何か、思案する必要があることは間違いない。

取り止めもない、まとまっていない文章でしたが、今のもやもやとした気持ちを、書いてみました。

崩れ、再建される。

日本はどうでしょうね。

どうも、「コロナ以前に戻そう」という力の方が強い気がしていて、私はもったいなく感じています。





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全田十五
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