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M−1への期待と2003年の思い出

M-1

今週末、12/20(日)は、いよいよM-1グランプリ。

期待しています。

今年で第16回大会なんだそうです。

しかしあれですね。
16回もやれば、大会に貫録が付きすぎるもので、
「日本一の漫才師を決定する大会」=面白い漫才がたくさん見られる番組
ってよりも、
「今年のお笑いサクセスストーリーを見守る番組」
って感じになってる気がします。

芸人が多方面に才能を発揮していく中で、ドラマや映画で「芸人もの」てのが出来たり、ネタ作りの裏側を話したりする番組も多いことから、そうなってきてるんでしょう。

今年に至っては、こんなかっこいいPVも作られている。

かっこいいなと思いつつ、、、

いや、なんか笑いにくいよ!

「M-1をめぐるストーリー」としては熱いけど、「M-1」単体で考えると、気軽に笑い辛いぞ。

さて、「M-1」を思い出したとき、一番記憶に残っているのは、2003年の第三回大会です。

フットボールアワーが優勝した年で、笑い飯が歴史民俗博物館ネタで爆笑をかっさらい、
アンタッチャブルが敗者復活から3位に食い込んできた大会。
なのですが、なぜ記憶に残っているかというと、大会自体ではなく。

M-1がOAされた翌日か翌々日、大晦日ではないにせよ年の瀬、高校一年生だった私は、ルンルンだった。

なぜなら、スティーヴィー・ワンダーの来日福岡公演のライブチケットを押さえていたからである。

注意点として、ライブにいくのは母親と一緒。
少ない小遣いをねん出し、自分と母親の分、2枚のチケットを購入した。多分、1.5万円くらいかかったんじゃないかしら。

別にスティーヴィー・ワンダーの大ファンというわけではなかったのだが、高校一年生といえば、背伸びをしたい年ごろ。
「洋楽しか聴いてない」てのがカッコいいと思っていたので、父親の部屋から引っ張り出して、スティーヴィー・ワンダーを聴いていたため、チケット告知CMを見て、これは行かねば!と思ったのだった。

だがしかし、ここで問題発生!

当時、私はラグビー部。大晦日と正月以外は練習があることくらいは覚悟していたが、午前中で終わる想定であった。
公演は夕方~夜なので、十分に間に合う。

そう踏んでいたのに・・・。

急遽、熊本にあるとかいう、日本一段数が多い階段がある寺に行くことになったのであった。
そのステップ数、なんと3,333段。
昇った先に寺があるらしく、そこで拝めばご利益あるだろうと、顧問の先生はどや顔であった。

問題は、皆でバスで熊本に行くこと。遠い。
そして、その階段を、一往復ではなく、三往復もすること。
二往復して、用意された豚汁を食べて、もう一往復する行程であるらしい。

果たして間に合うのか。
私は、よーく考えてみた。
間に合う!と私は判断した。
バスが高校に帰着したらすぐに福岡に向かえるよう、親には、高校に車で迎えに来てもらえることにして、手はずは万全であった。

これでいける。いけるぞぉ。

さて、階段当日。

残り一往復を残し、マネージャーが作った生煮えの豚汁と、いまいち握りが甘いおにぎりを食べながら、私は思った。

いや、間に合わなくね!?

校舎の1階から3階までが何段で、それが何分かかるから、3,333段だと・・・という計算をしていたのだが、まったく合わない。

疲労も蓄積するし、それ以上に、単調な階段が続いてるんじゃなくて、山の頂上に向かって階段を設置しているというものだったので、つまりは山登り×3,333段のコラボレーション、単純に距離が長いのであった。

もうちょっとよく考えてたら、わかる道理である。
当時はスマホはなくて検索もできない環境だったが、それにしても見込みが甘すぎた。

それでも、ギリギリもしくはちょい遅れで間に合うかも。
そう一縷の望みを託しながら、最後の一往復をなんとか完遂したが、ほぼ最後尾で帰ってきた私に、絶望的なお知らせが。

先輩の田中が、頂上付近で足をつり、うずくまっているのだという。

あの田中が!
この田中、てんで弱くて練習もさぼるくせに、後輩には偉そうというヒョロガリ根暗で、全後輩から馬鹿にされていた先輩。

あの田中が!
早く下山してこい!田中ァ!
という思いもむなしく、田中待ちで1時間は費やした結果、まだ熊本だというのにあたりは薄暗くなりはじめ、私はスティーヴィー・ワンダーを諦めた。

「間に合わない」「わかった。(私の)弟と行く」と母親とメールを交わすバスの車内。

「田中のせいで、スティーヴィー・ワンダーのコンサートに行けなかった」と私は部員たちに報告したが、私が格好いいと思ってたスティーヴィー・ワンダーは、いまいち周りには刺さらず、「そんなんどうでもいいやん」という感じで、同情もされなかった。

バス車内で疲労と(私だけ)悲しみに打ちひしがれていると、ムードメーカー的な存在だった同期の豊福が、ビデオをとりだす。
それは、おとといくらいにOAされた、「M-1 2003」の録画ビデオだった。
帰路は、漫才に馬鹿笑いしながら帰った。リアルタイムで見てたけど、みんなで見るM-1は、また格別の面白さ。
おかげで、ちょっとは悲しみが癒せた。

家に帰ると、すでにコンサート終わりの母と弟が帰ってきていて、弟(当時中1か・・・?)は始まりから終わりまで寝ていたらしい。

気の毒に思った母親が、お金は返してくれたので±はゼロだが、今思えば、田中のせいでスティーヴィー・ワンダーを生で見ることは、もう生涯ないんだろう。

ということで、楽しみですね。今年ののM-1。



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