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東京ひとり旅の記録④|赤い靴下止め、魚卵とマヨネーズ、どこにでも行けるという気持ち

東京3日目の朝を迎えた。最終日である。

1.ハムカツサンドで腹ごしらえ

アラームの音で目覚め、ベッド横のテーブルをふと見ると、いきなりこれが目に入ってきて幸せな気分になった。ビジネスホテルの狭さもときにはメリットがある。

昨日勢いでテイクアウトした、ペリカンカフェのハムカツサンド。欲望に負けてくれた昨日の自分、本当にありがとう。

ところでみなさん、ハムカツのハムは薄い派ですか、分厚い派ですか。
私は「薄いのも分厚いのもそれぞれにおいしいけど、それはそれとして分厚いハムカツを見るとお誕生日に牛腿肉の塊を与えられた犬の気持ちになる」派です。え!? こんなに!? いいの!!!??? ってなる。犬飼ったことないけど。

トンカツとかステーキが分厚くてもキャー♡とはなるけど犬の気持ちとまではいかないので、分厚いハムカツの魔力はすごい。なんだろう、普段は1ミリくらいの厚さであっても納得して楽しめるハムが、10倍になって出てくることのインパクトだろうか。いくら分厚いトンカツでも、普通の厚さの10倍ともなるとなかなかないものね。
ハムカツに使われているハムがたいてい、お歳暮なんかでよくやりとりされる高級ハム(白っぽくて肉の繊維が感じられるしっとりしたやつ)ではなくもっとジャンキーな加工肉であることも関係しているのかもしれない。身体に悪そうな食べ物をたっぷり摂取するという背徳感が、より「いいんですか!?」を引き立てる。

で、ペリカンカフェのハムカツサンドである。

ひょえ~~~

浅草ハムの厚切りハムと、カツのパン粉にペリカンのパンを使っているらしい。その情報だけでおいしさ3割増しに見える。
切り落としたパンの耳を入れてくれているのが、おまけをもらったみたいで嬉しい。

トーストしてから時間が経っているので、パンのふわふわ・さくさく加減は昨日の炭焼きトーストに比べるとだいぶ控えめになっていたけれど、その分生地のきめ細かさや、小麦の風味に意識が行った。ハムはしょっぱく肉々しく揚げ衣はソースを吸ってしっとり、控えめに挟み込まれたキャベツと辛子の風味、マヨネーズが良い仕事をしていてお手本のようなハムカツサンドだ。「これが食べたかった」をきっちり叶えてくれる感じ。
ホテル備え付けの飲み物が微妙だったので、ファミリーマートでドリップコーヒーを買って一緒に飲んでいたのだけれど、これもなかなかおいしかった。コンビニオリジナル商品、あなどれない。

満腹になって一息ついてから、えんやこらと荷物を背負ってチェックアウト。ルーブル展の図録が入っているせいか、行きよりもやたら重くて閉口する。

2.よく晴れた日のエゴン・シーレ展

荷物をひきずりながら上野公園へ。
良く晴れていてあたたかく、あらゆる人々がここに集まっているように見える。

上野公園、来るたびにとても好きな場所だなあと思う。だだっ広くて、動物園があって、美術館や博物館がやたら多くて、活気と静けさの両方があって。晴れてあかるい休日に来ると人生のいいところが全部詰まったような雰囲気を醸し出しているのに、夜に迷い込むとそのまま出られなくなりそうな気配があるところがいい。

お目当てのエゴン・シーレ展は、思ったより空いていた。

今回の旅で訪れた展示では、どちらかというと技巧的で柔らかな雰囲気の作品を見ることが多かったので、激情や鬱屈をそのままカンバスになすりつけたような筆致に動揺する。でもよく見ると、感覚的なタッチに見えても境界線は思いのほかしっかり引かれていたり、繊細なデッサンの跡が垣間見えたり、その二面性にだんだん惹きつけられていった。

特に、メインビジュアルにもなっている「ほおずきの実のある自画像」は、見た瞬間に美しい、と思った。

淡いグレイの背景と、沈んだ朱色のほおずき、黒い服とのコントラストがとてもおしゃれ。気を抜くとすべてのバランスが崩れそうな緊張感のある構図を、息を詰めて見守ってしまう。
一方、そこに描かれたシーレ自身の、三日月形に弧を描く太い眉、世を拗ねたようにも傲岸にこちらを見定めるようにも見える表情、はすに構えた立ち姿に「これは好きになると破滅する類の男だ」と直感する。「彼の寂しさをほんとうに理解できるのは私だけ」と思ってる女が100人いるタイプ。早稲田で日本文学やりながら名画座かライブハウスでバイトしてる(ド偏見)。

そして作品の力はもちろん、展示の仕方もとても好きな展覧会だった。
例えば、くすんだ淡いブルーの壁が配置された一画。
そこに飾られていたブロンシア・コラー=ピネル「婦人の肖像」は、鮮やかな金色を基調としたエジプト壁画ふうの豪華絢爛な背景と、そこに描かれた人物のくっきりと黒い髪と衣、蜂蜜色の肌の組み合わせが鮮烈で美しい絵画だ。額装も背景に合わせて重厚な金褐色のもの。他にもスマラグダ・ベルクといった金と黒を基調にした作品が飾られていて、スモーキ―ブルーと金色の華やかな組み合わせをシックな黒がぴりりと締め、ロココ時代の宮殿のような優美さと現代的なモダンさがまじりあった雰囲気でうっとりしてしまった。

一番印象的だったのは、裸婦像を集めた一角である。
真っ黒な壁で囲まれたその狭い一室は、他の展示室からの光はほとんど入らず、戸惑うほど暗い。その中でシーレの描いた裸婦たちの白い身体だけが、スポットライトに照らされてぼうっと浮かび上がる様は、この世のものではないような凄みのある雰囲気だった。
裸婦と言っても一糸まとわぬ姿ではなく、肌着や毛布、靴下などを身に着けたものが多く、それがかえってエロティックだ。特に複数の絵で描かれていた「赤い靴下止め」というモチーフには、画家のフェティズムを感じてどきどきしてしまった。

美術館を出ると、再び強い日差しにさらされる。先ほどまでの退廃的な世界とのギャップにくらくらした。

3.日比谷ミッドタウンで凛さんとお蕎麦

上野公園をぶらつきつつ、日比谷へ移動。憧れのnoterさんとお会いするのである。

noteを始めてからというものの、いろいろな方の記事を拝読して「世の中にはこんな方がいらっしゃるのか!」と驚き憧れることがとても多いのだけれど、凛さんはその筆頭ともいえる方だ。
驚くのが書かれる記事のテーマの幅広さ。恋愛のお話から旅行記、食レポ、スポーツ、時事を織り込んだコラム、はたまた小説……といった具合で、書けない話題なんてないんじゃない? というレベルの引き出しをお持ちなのである。しかもそのひとつひとつに「らしさ」というか、深い洞察と読む人・関わる人に対する愛情、サービス精神のようなものが欠かさず備わっていて、読んでいるだけでファンになってしまう。

そんな凛さんとお会いできることになり、しかもテーマは私のリクエストで「お蕎麦屋さんでの昼飲み」!
お店のチョイスや予約まですべてお気遣いいただいて、恐縮ながらわくわくと日比谷ミッドタウンの「そばがみ」さんへ。長いエレベーターと規模の大きな吹き抜け(吹き抜けている面積が広いやつ、GINZA SIXにあるやつとか)を備えた建物に来ると、「東京のおしゃれスポットに来たなあ」と思う。

凛さんと初めましての挨拶をし、お話しはじめて数分も経たずに「アッ、なるほど!!」となる。「そりゃあこれはエレベーターの中でナンパされるわ!!」

凛さんの書かれるエピソードの中で、「通常はありえないシチュエーションでナンパされがち」というものが私はとても好きなのだけれど、今回ご本人にお会いしてすっと腑に落ちた。なんというか、ごくごく短い時間で「もっと知りたい、話してみたい」と思わせる方なのだ。人懐こい笑顔とか、こちらが話を始めたときに瞳がきらっとする感じとか。あと溢れ出る色気。

ふわふわしながら生ビールで乾杯をして、最初に出てきたのは凛さんいちおしの「からすみ蕎麦」。

事前のやりとりの中でも聞いていた料理名で、からすみとお蕎麦という聞いたことのない組み合わせに「?」となっていたのが、実物を目の前にして「???」となる。ふんだんにかかったからすみで蕎麦が見えない。からすみってもっとこう、アクセント的な感じでパラッとかかっているものでは??

瑞々しく透明感のあるお蕎麦の上にあさりの剥き身とたっぷりのからすみがまぶされ、その間を繋いでいるのはマヨネーズソース。全部をまとめて口に入れると、からすみの塩気と海の香、あさりの旨味、マヨネーズのまろやかさ、お蕎麦のつるりもちもちとした食感が全部合わさって、脳のなかの「おいしさ」をつかさどる部分を総攻撃してくる。お、おいしい……。

構成している要素がすべてお酒に合うものなので、当然ながら絶好のつまみになる。食べ終わるのを惜しみながらビールをすすり、ちみちみと箸でつまんだ。最初のビールと合わせてもおいしかったけれど、日本酒とも絶対に絶対に合うはずなので、これを前菜とデザートに出してくれるコース、出ないかしら。

食べたことのないものなのに、なんだか安心感のあるおいしさだと思ったら、そういえば魚卵とマヨネーズと麺類、というのは、みんな大好きたらこスパゲッティとそっくり同じ組み合わせなのだ。あれを酒飲みのために10ランクくらい贅沢にアップデートしたものがそばがみのからすみ蕎麦である。毎日食べたい。

最初の一品で既に満足しかけていたところに、コース仕立てでどんどんおいしいものが出てくる。クリームのようになめらかな和え衣に感激する白和え、焼き目の一切ない美しい肌をしたじゅわじゅわの出汁巻き卵、「お鮨屋さんに来たっけ?」と思うレベルの握り(鯛と鮪)、美しい盛りと甘い脂にうっとりする鰤の焼き物。

日本酒に切り替えてそれらを頂きながら、いろんな話をする。noteの話、お仕事の話、美術館の話。久しぶりに東京に来ていたせいか、「東京が地元だということについて」という話題が印象に残っているのだけれど、何を話しても楽しそうに笑ってくださるので、そのほかはつい自分の話ばかりしてしまった。

気が付けばお昼の部の閉店時間が迫っていて、〆に小エビの天ぷら(ぷりぷりさくさく)と一緒にお蕎麦をすする。からすみ蕎麦の時も思ったけれど、おいしいお蕎麦屋さんのお蕎麦は透明感があってつややかだ。いろんなものをゆっくり食べて満腹のはずなのに、つるんとしたのど越しと良い香りに誘われて、あっという間にお腹に収まってしまった。
デザートに、「もっちり」と「とろん」が両立する不思議なわらびもちもしっかりおいしく頂いて、お店を後にする。

新幹線の時間も迫っていたので、ここで凛さんとはお別れを。
何もかもお任せしてお土産まで頂いた上にご馳走になってしまったのでありがたいやら申し訳ないやら、次はぜひ私のほうでおもてなしさせてください!! ありがとうございました。

↓凛さんのふり幅の広さを実感できる記事をふたつ。

4.旅の終わり、東京駅へ

再び荷物を抱えて、有楽町から東京駅へ向かう。JRでの移動だったのでそのまま新幹線のホームへ向かってもよかったのだけれど、ふと駅舎を見たくなって改札を出た。

東京駅で、丸の内側から外に出る瞬間が好きだ。ここからどこにでも行かれるのだ、という、万能感が得られる気がする。確かに東京駅は日本のあらゆる場所へ接続するハブだけれど、駅の中に入るときではなく出るときにそう感じる、というのは、考えてみると少し不思議だ。
駅前に大きな広場があったり、道路や歩道の幅がたっぷりと取られていたりして、視界がぱっと開けるからかもしれない。私の知る限り、大都市の主要な駅前でこんなにだだっ広い空間が広がっているところは他にないと思う。国内でもっとも地価が高いであろう場所のうちのひとつでこんなに贅沢な空間遣いがされていることに、美意識と矜持を感じる。

振り返ると世にも美しい、煉瓦造りの駅舎。

今まであまり、ひとりで旅に出るということをしてこなかった。
最初に就いたのが出張の多い仕事で、そのついでに観光ができていたから、それで十分だと思っていた節がある。転勤や転職を経てそういった機会が減っても、なんとなく自分の人生に旅はそこまで必要ないもの、という刷り込みがされていた。
けれど今回思い切って遠出をした結果、その充実感に驚いている。次はどこに行こうかな、と考えている自分が不思議。

年度の切り替わりで連日残業の日々だけれど、旅の記憶を掘り起こしながらなんとか乗り切るぞ。


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