ヤメル講座 (3) キレイをヤメル
目に見えもしない「ばい菌」に、
脅(おびや)かされていませんか?
過ぎた“キレイ”は身体にも気持ちにも悪いもの
“キレイ”の何が悪い! それもごもっとも。少しも悪くありません。
自分の身を常に清潔にしておくことは、人として基本となる大切な行為です。外から帰ってきて手を洗う、うがいをする、風呂に入って身体や頭を洗う、トイレを済ませたら手を洗う……きちんとするのが当然、やめる理由などありません。
ところが、世のなかにはかならず、極端に走る人々というのが存在するようで、この“キレイ”のジャンルには、ほんの一部とはいえない「異常なまでのキレイ好き」が大増殖しているのです。
とくに「O‐157」やら「雪印の食中毒事件」にはじまり、最近では、インフルエンザや新型ウイルスの流行が問題となっています。これにより、ますます“清潔”“キレイ”の大切さがクローズアップされ、キレイ好き社会の傾向は、もはやとどまるところを知りません。この兆候は、社会生活のさまざまな場面で登場しはじめます。
・キッチン、トイレ、文房具にまで、抗菌グッズを使わないと気が済まない
・道ばたの石ころ、土(砂場の砂ではなく)をいじる子どもの行為を、母親が「汚い」と叱(しか)り、手の汚れを何度も払う。この結果、子どもも手の汚れを異常なまでに気にするようになる
・日に2回はかならず洗髪をする
・体臭や汗に気をつかいすぎる
・外出から戻るたびにシャワーを浴びる
・手を洗うときは、石けんで2度以上洗う
・消毒スプレーや消毒ペーパーを持ち歩く
・電車の吊革に触れない
・電車をはじめ、不特定多数の人がいる密室ではマスクをする ……などなど
こうした清潔でキレイ(不潔を避ける行為も含め)になるための、あらゆる行為の目的は、よごれ、匂いの存在をやっつけるため。その原因となる大悪役「ばい菌」が、常に最大の敵となっているわけです。
清潔グッズにだまされていないか?
ところが、この「ばい菌」、敵にするには非常に厄介な存在です。何せ目で見ることができません。つまり、「トイレ=ばい菌いっぱい!」というイメージが、人々に丹念に手を洗わせ、目に見えないバーチャルな汚れを洗い流す「儀式」によって、自分を納得させているのです。
もちろん、実際の効果はあるでしょう。しかし、それにもまして「儀式」としての“清潔”だけが独立し、どんどんエスカレートしていく傾向にあります。
以前、盛んに流れていた、人をおどろかせてモノを買わせる手法のCMでも、ばい菌ウジャウジャの顕(けん)微(び)鏡(きょう)写真をよく見せられました。「これがあなたの身体のいたるところに!」「匂いのもと!」などとやっていたものです。こんな気味の悪いものが身体に張りついている! といわれれば、だれでも強迫観念にかられてしまうことでしょう。
まだ小さな子どものいる母親は、さらに「子供を守る」という気持ちが加わるだけに、とくにこの傾向に陥(おちい)りがちです。
こんな傾向を象徴するCMもありました。赤ん坊のほ乳瓶の殺菌を行なうシーン。殺菌の大切さをうたう内容の最後に、父親が子供に触ろうとすると、母親が「あ、ばい菌!」。このシーンでCMが終わります。父親がバイキン? あんまりなオチです。
最近でこそ、洗剤のCMは「しっとりふわふわ!」と爽やかなイメージですが、もはや現代の母親たちにとって「ばい菌」感覚は、当然のものとして定着しています。つまり、あたり前すぎて“脅(おど)かし”にならないため、CMの傾向も変わってきたのです。
とにかく“キレイ”にすることが命!!
手段だけが極大化し、病気にならないよう清潔にするといった目的は忘れられ、その結果、親子ともども自分のもの以外に触れない、そんなケースも起きているといいます。すると、他人や物事とのつき合い方にも“キレイ”という基準が常に壁となってしまうような、見事に神経質なものになってしまうのです。
どんな細かいことも殺菌、抗菌しないと前に進めず、具体的にはそんな症状に……実に多くの人が、大なり小なりこの傾向に陥っています。何も「2~3日、頭を洗わない会」とか「不潔愛好会」を発足させようというのではありません。ただ、行きすぎた“キレイ信仰”は、一度考え直してもいいのではないでしょうか。
そのためにも、あきらめがつく、あるいは、日ごろのキレイ好きがちょっと空(むな)しくなる、そんな話をここに取り上げたいと思います。
●良い菌、悪いばい菌
菌のことをまとめて「ばい菌」と呼んでいますが、菌には善玉と悪玉がいます。
納豆や酒を作る菌が善玉菌の代表だとすれば、食中毒のもとになるサルモネラ菌やO‐157、身近なところでは大腸菌などが悪者の代表とされています。
しかし、悪者だからいなくなればいい、という単純な話にはなりません。
そもそも人間は、菌の存在なしで生きていくことはできません。悪者の大腸菌でさえ、腸のなかで消化を助ける大切な役割を担っているのです。
また、肌の表面に常に存在するブドウ球菌などは、汗の匂いのもとにもなっているため、悪者と認定されてしまっているようですが、実は一方で、肌を保護し、悪い菌が肌に付着するのを防いだりするのです。
よごれ、無臭を求めるあまり、洗顔などを必要以上に行なうと、ブドウ球菌までいなくなってしまい、一時的には匂いのもとがなくなるものの、結果的には、悪い菌が増殖して肌荒れの原因となります。
とくに女性の場合は、洗顔のしすぎでブドウ球菌が破壊された肌の層に、悪い菌が入り込んで肌が荒れます。そこにあわててクリームなどを塗ると、かえって悪い菌を育て、温かく栄養たっぷりな環境を与えることとなり、さらに悪い菌が増殖する最悪のルーチンにはまり込む人が多いといえます。
●手洗い・洗顔
手洗いや洗顔は、よほど長時間行なわなければ、かえって菌を増やす結果ともなります。表面の菌を洗い流しても、手洗いの刺激で毛穴や汗腺(かん せん)にあった菌が表面に出てくるのだそうです。
これを流しきるには、数十分間の手洗いが必要なのです。つまり、トイレに行って数十分手洗い。再びトイレに行って、また数十分手洗い……トイレが近い人だと、二度と出てこられないことにもなってしまいます。
●抗菌グッズ
「抗菌グッズ」と聞くと、多くの人が勝手なイメージをふくらませます。抗菌グッズの火付け役となった、抗菌くつ下。あるいは、抗菌シャツに抗菌キッチン用品、抗菌文具。たとえば文房具の場合、抗菌文具に触れた菌はすべて死滅し、文房具は常に無菌状態。そこまでいかなくとも“抗菌”とうたっていれば、そこそこの効果は期待してしまいます。
ところが実のところ、抗菌グッズには、あまりキチンとした定義がありません。そもそも“抗菌”という言葉が、菌を死滅させるような殺菌なのか、それ以上菌を増やさないようにするものなのか定かではなく、菌に対して何かしらの良い働きはするものの、その程度は不明ということ。抗菌グッズを使っているからといって、100億個いる菌が0個になっているわけではありません。90億個にでもなっていれば“抗菌”なのです。
完全になくせるなら“殺菌”とうたっているだろうし、仮に殺菌グッズだとしたら、人間にだって悪い影響を及ぼしそうなものです。つまりこれは、ほんとうに気分の問題でしかないのです。
●口のなか
菌は湿気があって温かく、栄養のあるところで成長します。人間の身体のなかで、この条件を完璧に満たしているのは“口”です。しかも常に空気、食物などを介して外部と接触しています。よって当然のごとく、口にはとても多くの菌が生息しています。その数は常時、数十億~100億ほど。うがいで外に菌を出したり、食事をして菌もろとも飲み込むなど、一時的に菌は口内から減少しますが、これだけの好条件がそろっていれば、すぐまた菌は勢力を盛り返します。
それでも、口内の菌が原因で具合の悪くなる人はいません。ずっと歯を磨かない、といった場合は、また別の話(虫歯や歯周(ししゅう)病は、菌とのバランスが崩れた結果)です。通常の生活であれば、菌と人間は共存しているわけです。
口内に100億の菌がいるにもかかわらず、今さら「手にバイキンが!」とさわぐのもおかしな話なのです。
病院の無菌室で生活するならいざ知らず、無菌状態で暮らすなど、もともと不可能なのです。モノに触り、空気を吸っていれば、無菌ではいられません。どんなに“キレイ”を求めても、それは単にイメージだけ。人間は菌と共存しているのです。
もちろん適度な清潔、食中毒や病気などへの配慮のための行為は必要ですが、見えない菌に対しての過度の反応は、結局自分をすり減らし、かえってイライラのもとになるだけです。
“キレイ”もやりすぎは逆効果。結果的に、悪い菌を増やすことになるのです。