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分かんなかったな〜。

 全然分かんなかったんですよね、自分の名前の良さが。なんならずっと嫌いで、最近までSNSで本名使うことなんてなかったんですよ。
 悠々自適の「悠」に、風月を友とするの「月」で「悠月」なんて、難しすぎるんですよね。

 名前の由来を知ったのは、小学生の頃にあった、自分の名前の由来を知ろう、みたいな授業の時でした。母に由来を聞いた時、当時はなんて思ってたのかな。忘れちゃったけど、多分「わー!かっこいいー!」とは思ってなかったと思います。当時は母のこと、そんなに好きじゃなかったから。
 好きじゃない人に考えられた名前なんて、別に好きになれなくても不自然じゃないと思います。別に私は、母に虐待されていたわけじゃないですが、何となく、好きじゃなかったんですよね。
 学校の授業参観には来てくれた記憶がないのに、三者面談の時だけ母親ヅラして私の隣で私のことを下げてきたり、小学校のテストで100点取る事なんて当たり前だと思うような人だったから、褒められた記憶があまり無かったし、両親が離婚しかけた時、双方の親、つまり私のおじいちゃんおばあちゃん同士も交えた話を、引っ越して間もない一軒家でされたり(その時私は、保育園児だったから話に混ぜて貰えなくて、私には関係ないんだって思ってた、多分)、自分は物に当たるくせに、私がちょーっと扉強く閉めたりすると指摘してきたし、その上妹との喧嘩で私の3DS真っ二つに折られたし。ヒス起こして物を無造作に捨てる母の名前を呼ぶ父の声が、今でも頭に残っていますよ。おばあちゃんが、ゆづちゃんはスタイルがいいからモデルさんになれるねって言ってくれた時、母は、悠月は可愛くないから無理って言ったことも、ちゃんと覚えてしまっていますよ。

 最近になって、母と2人で夜ご飯を食べに行った。一緒にお酒を飲んだ。母は家で休日もずっと家から出ずにスマホを見ているだけだし、外出も遠出も一緒にした記憶があまりない(と言うより皆無)から、家族団らんとか、全くした覚えがなかった。母の恋愛観とか、悠月はもっとこうした方がいいとか話した。その時何か、母というより1人の人とちゃんと話が出来た気がした。母は真面目な人なのに、時々見せる思想の強さとか、ニッて笑う笑顔とかが好きだと改めて思った。別に過去のことがどうだとかは、何も変えられないからどうにもならないんだけど、母のことが嫌いな訳では無いんだと思ったことに、嬉しい気持ちと、憎めない歯痒さが複雑で、モヤモヤした。でもまあ多分、とりあえず今はそんな感じなんだろうな。

 分からないけど、最近は何となく自分の名前が好きで、気に入っているんですよね。母が言った、「ゆづちゃんが大事だから」って言葉も、ちゃんと覚えているし、それを信用している訳では無いけど、信用することに、今はしています。その言葉を思い出すと、喉が詰まったような感覚に襲われますが、どうしてなんだろう。言葉ってずるくて、言葉に行動が伴っていなくても、その言葉に頼ってしまうんですよね。

 だから、1年以上前の出来事があった時、まず第一にそのことを相談したのは母でした。父ではなく、母でしたね。でも、母に相談したというよりは、1人の人を頼っただけなのかもしれないけれど、母に話さなければ、って気持ちになったんですよね。
 母は普段、私が「こんなことがあった」って話をしても、話半分で聞いているような返事しかしてくれなかった。でもその時は、私の方を見る母がいて、うんうんって話を聞いてくれていて、あ、今はこの人で大丈夫だ、って思ったんですよね。

 母から初めてもらったものは名前だったな。私は逆子だったから、帝王切開で産んでくれた。母はきっと、私を産んだ時、私に微笑んでくれていたんだろうな。

 高校生の時、また自分の名前の由来を知ろう、みたいな時間があった。その時私は、先生が配った紙に由来を書いた。皆で発表し合おうみたいな時、私の名前の由来が紹介されて、クラスメイトは「かっこいい」「むずかしい」「普通思いつかない」って褒めてくれた。その時何だか誇らしくて、私のママ凄いでしょって気持ちになった。どこまでいっても憎めない人で、真面目で、よく台所でパパと仕事の愚痴を話してる、私の自慢のママです。

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